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不登校 〜承認不足〜

息子が小学5年生から学校へ行くのを嫌がるようになった。

何かできることはないか、と「不登校」関連の本を図書館で借りてきていろいろと読んだ。

*悪いことをしたのに、自分の非を認めようとしない

→自己評価がとても低いから。自分が全面否定される。だから必死に自分は悪くないと主張する(叱られ過ぎ)。

→いったんこの子の言い分を認めてやりましょう。その上で、でもこういうのは良くないよね。と話す

*親が子供の目線に立って言い分をしっかり聞き、いったん受け止めてあげる。子供は不安やストレスを抱えています。まず、聞いてあげること

*大人にとって大切なのは子供たちのあるがままの姿をしっかりと受け止めてあげること。できたときだけ褒められる・・・と言うのではなく「何もできなくても、ただそこにいるだけで価値がある」と言うことを意識することが大切。

*子供は不安があると駄々をこねたり、赤ちゃん帰りしたりと「甘え」が出ることがあります。それを親が受けとめることで心が安定し「また頑張ろう」と言う意欲につながる。うまく甘えられないと不安が溜まってしまう。

*親が受けとめる→自分は認められている「そのままでいいんだ」と自分を取り戻し「自己肯定感」につながる=「自信」「意欲」があり「協調性」も育つ

いろいろな本を読んで本当に感じた『共感』『気持ちを受け止める』ということの大切さ。私はできている?

〜息子との関係〜でも書いたように愛情を持っていたかもわからない母親がそんなことをしてあげられてたとはとても思えない。

自分では当たり前になってしまっていた「息子に対する接し方」「言葉のかけ方」が息子の自身を失くさせていたのかもしれない。

旦那に言われた

「否定語ばかり使ってるよ」

「帰ってくると、いつも言い合いをしていて〇〇(息子)は泣いていたぞ。大きな声で怒鳴っていて何を言っているかわからないから〇〇もなんで怒られているのか理解できなかったんじゃないか?こんな状態ではそのうち精神がおかしくなるのではないかと思っていたよ。だから不登校になっても「やっぱり」って思ったよ」

と。私はこの言葉にがく然とした。

もちろん、私なりに理由はあった。はじめから怒っている訳でも怒鳴っているわけでもない。静かに話をしている。でも、どう言ってもいうことを聞かなかったり、反抗してきたりするから最終的に怒鳴ってしまっているのだ。

それを見ずに何を言ってるんだ!という怒りもあった。でも、やはりこんな状態にしてしまったのは自分かもしれない、という反省の気持ちもあった。

ただ、そんな様子を見ながらも息子を助けようとしない旦那は息子のことちゃんと好きなのかな?という疑問を持ったことも確かだった。(旦那の話はこれ以上はやめておこう)

それから、できるだけ「否定」をしないように心がけた。意識してみると確かに息子の言葉を遮断して「否定」していることは多かったように思う。ちゃんと聞いて、認めてあげることを意識した。

できたことだけを褒めるのではなく、やろうとした頑張りに対しても褒めようとした。

意識していると娘に対しては無意識にそういう言葉をかけていることに気がついた。褒めると嬉しがる娘を見るとこちらも嬉しくなってよく褒めていた。話を聞いて共感もしてあげていた。息子は褒めても素直に喜ばない、逆に変なことをし始める、そんなこともあって褒めることをやめてしまった自分がいたことを思い出した。

兄弟なのに、全く違う言葉をかけていた。そういうのも息子は気になっていたのかもしれない。

でも、自分を変えるのは想像以上に難しい。ちょっと油断するとすぐ自分の癖が出てしまう。感情的になるとどうしても抑えられない。それでも、できるだけ否定せずに認めるようにした。

少しずつしか変化はしていかないけれど、少しずつでも良い。母と息子の関係が変わっていくことで家が安心できる場所に変わっていけば良い。

(頭でわかったつもりでも、しばらくは息子を苦しめる行動や言動をとってしまい時々泣かせてしまった。結局、『世間体』と『親のつごう』を変えるのには時間がかかってしまった)


















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