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不登校 〜心のつながり〜


息子が小学5年生から学校へ行くのを嫌がるようになった。かなり荒れていた時期もあったが、ご飯の時間になるとちゃんとリビングに出てきて一緒に食事をしていた。


基本、旦那は家でご飯を食べない人だ。帰ってくるのが遅いので遅い時間に食事をするのは健康に良くない、と言う理由で、結婚当初から別々に食べていた。

結婚当初は『なんで?』と言う気持ちでいっぱいだった。土、日だけ一緒に食べる。でも、私が土曜日働いていたこともあってちゃんと私の料理を食べるのは日曜日だけだった。

実家はいつも一緒にご飯を食べる家庭だった。父が毎日定時に帰ってくるのでみんなでご飯は当たり前だった。それが1人でご飯。とても寂しい思いだった。

たまに長い休みがあると、何を作って良いのか分からず本当に苦労する。いまだに、何が好きで何が嫌いなのか分からない。こんな夫婦っている?と思ってしまう。


子供が産まれてもそれは変わらなかった。旦那の食事を用意しなくても良いから楽と言えば楽。でも、何か違う気もしていた。

子供が産まれてからは子供のために一生懸命ご飯を作った。

息子は小さい頃からなんでも食べた。

ピーマンだってゴボウだってもずくだってなんでも。嫌がるものはなかった。私は楽しくなって息子のためにいろいろな料理を作った。母の影響もあって『添加物』の入っているものはできるだけ避けて、自分で作れるものは作っていた。おやつもまめに作っていたと思う。息子はなんでも食べて「美味しい、美味しい」と言ってくれる。それが嬉しくて。

基本「〇〇の素」とか「〇〇のたれ」などは使わない。私にとっては甘辛すぎてあまり好きではない。息子にたまに食べさせるとやっぱり「なんか甘すぎる、塩辛い・・」となる。

だからと言って、外食しないわけではない。通っていた病院の近くにファーストフード店があったので予防接種の後や薬をもらいに行った帰りなどに行っていた。

だから、家で食べる時は気をつけるけど、たまには楽しもう。という感じでゆるく食生活に気を使っていた。


食事をする時は、息子と食べ物の話をする。「これは今旬なんだよ、おいしいね」「今日は味付け変えてみた。前のとどっちが好き?」など。ご飯の時間が楽しかった。

下の娘が生まれても生活は変わらなかった。娘は息子と違って好き嫌いが激しかった。嫌いなものはべっと出す。今でもかなり偏食だ。それもあって食事にはかなり気を使っている。娘はあまり食事に興味がない。だから、「前のとどっちが好き?」と聞いても「前って?忘れた」と言う感じで・・・ちょっとつまらない。


***

私は興味がどんどん変わるところがある。パン教室に行ってた頃はパンに凝り、料理教室に行ってた頃はそこで教えてもらった料理を作る。健康についての本を読み、グルテンのものを食べすぎているかも、と思ってからはグルテンフリーの食事にしてみたり、糖質制限の食事が良いかも?とそのレシピで作ったり・・だから、いつも食べる『定番の料理』というのがあまりない。

「前作ってくれた〇〇がまた食べたい!」と言われても「どれ?」となってしまうのだ。

それでも、子供たちはいつも「おいしい」とか「これはあまり好きじゃない」など言いながら食べてくれることが私にとって喜びだった。


***

息子が不登校になりお昼ご飯も一緒に食べることになった時は、嫌で仕方がなかった。『何で?給食があるのに?』って。毎日昼ご飯を作るのは大変だった。でも、いつの間にかそれが普通になり、一緒に食べていた。だから、たまに学校へ行き、1人で食事をすると「息子が学校へ行ってしまったらこれから1人で食事するんだ・・・寂しいな」なんて思ってしまっていた。それが当たり前なのに。


不登校になり、部屋に籠る子もいると聞くが息子はご飯の時にはちゃんと部屋から出てきて一緒にご飯を食べた。

部屋に入ってしまうと声をかけても返事がなかったりする時期でも、ご飯の時は「これ、何が入ってるの?」「いつもとなんか違うよね」「今日の方が好きだな」とちゃんと感想をくれた。それだけは、小さい頃から変わらなかった。


息子のことがあまり好きでなかった時期でも息子との食事の時間だけは、好きだった。私と息子の心をつなげていたのは食事だったのかな?とちょっと思う。










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