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虚血性大腸炎になった時のウェブデザイナーの記録

※汚い話なのでご注意ください。

当時、仕事のスケジュールが詰まり、夜中まで起きることが増えていました。3日前から頭痛や目の疲れがひどく、メガネを付けると目が痛い状態になっていました。

金曜日には、夫や友人に「疲れが取れない」「頭痛がある」と話していましたが、明日は土曜日で少し休めると思い、一息ついて寝ました。

ところが、午前2時頃に急に腹痛に襲われました。小さな頃からお腹が弱い私は、かなりの頻度でお腹が痛くなります。今回も例外ではなかったので、救急車を呼ぶことになるとは考えていませんでした。

しかし、今回の腹痛はいつもと違いました。相当痛く、年に1回あるかないかの痛みでした。

この便を出したら痛みは終わと予想していましたが、便が全く出ず、小一時間、お腹の激痛に耐えました。その間、吐き気にも襲われ体に力も入らず、ひたすら痛みと戦いながら待ちました。

お腹は、痛み出した時からグルグル、ゴロゴロ音を立てており、おなかの中は下痢状態なのに、便が出ない状態でした。

出産前の痛みにも似た状態でしたが、この時点で、救急車を呼ぶことはできませんでした。出てくるものは「子」ではなく「汚物」だったからです。

この場合、トイレから離れることが私にとっては最も危険なことでした。

この痛さは、スマホを持てなければ、座っていることもできませんでした。私はトイレの床に倒れこんでいました。便意が来たら、はいつくばってトイレに座る。その繰り返しをしていました。

かつて、私は、東京の超高層ビルの一番上にあるイタリアンで食事中に同じ症状になり、救急車を呼ばれそうになったことがありました。その時の恥ずかしさや、他人に迷惑をかけることを考えたら、今回は自宅で誰にも迷惑をかけないことがラッキーだと思えました。

「便が出れば終わる。それまでの我慢」と言い聞かせ、3時にやっと便が出ました。

今回の異変

「おぎゃー」と赤ちゃんが産まれたら、「めでたしめでたし」と終わったことでしょうが、今回の私はそんな幸せな話ではありませんでした。

一時間もの間、激痛に耐えていました。頭の中ではザザザと波のような血がのぼっては引くような感覚が2回繰り返されました。言葉にしにくいですが、あまりよくない感覚でした。

「そろそろ出る!」とトイレに座った後、蓋が外れたようにお腹の中身が出ました。固い便は少しだけで、後はもう容器をひっくり返したように自然に便が出ました。

一旦すっきりしましたが、その後2回程度は腹痛や便意がやってくることを知っていました。

だから、3回目の便意で「やっとこれで終わる。寝られるー!」と安堵しました。しかし、便を出して振り返ると、目の前に真っ赤に染まった便器がありました!!

「これはヤバいかもしれない!」と感じました。例えるなら、生理2日目くらいに赤くなったトイレみたいな感じです。(女性にしかわからないかもしれませんが!)切れ痔ではない!とすぐにわかりました。

ヤバさを感じても、その時点で救急車を呼ぶことは頭の片隅にもなく、恐る恐るベッドに戻りました。「寝たらきっと痛みも収まるはずだ!」と考えていたからです。しかしながら、無謀にも痛みは治まることなく、眠れずにいました。

お腹の中ではずっと出血していたのかもしれません。

痛さに耐えかね、夫にLINEすることを決意しました。午前5時です。超迷惑だし、転勤族で夫は自宅から3時間半の場所に住んでいます。即座に返信をくれましたが、当日も仕事がある夫に頼るわけにはいきませんでした。

それでも、痛い時には一番に頼りたいのがパートナーです。

隣の部屋で娘が眠っていましたが、娘は全く私の異変に気がつかず、時間は過ぎていきました。

夫と電話を終えた私は、「日本人は胃腸が弱い♪/ネプチューン」と頭の片隅でモヤっと響かせながら、痛みと戦いベッドでウトウトしていました。

急に「ピンポーン」とチャイムがなり、鍵をガチャガチャ回して、人が入ってきたので、びっくりして、階段まで出ると、実家の父と姉がそこにいました。

人間の予想を超える出来事が起こると、怖くなります。私も例外ではなく、階段中腹まで下りてへたり込んでしまいました。

後から聞いたところによると、夫が私にもう一度電話したが、私は出なかったようです。(気づかなかったのか?)実家の家族に電話したようです。※同居の娘は何故か通話中で出ない。(友達と通話寝落ち電話をしていたようです。)

父と姉は私が倒れていないか?確認しに来てくれましたが私が階段まで出たことで、急にお腹がひどく痛みだしました。

はっきりと左下の腸が痛いと感じました。この時、「動くと痛くなる」ということを理解しました。寝ていても体の向きを変えると痛いのです。お水を一口飲んでも痛いのです。とにかく少し動くだけで相当痛いことがわかりました。

痛くてスマホを握ることもつらかったので、息絶え絶えに姉と父をLINEで再度呼びました。

救急車が来た理由

私の義弟は医療従事者であるため、妹に連絡すると。すぐに虚血性大腸炎と判断できましたが、「どこの病院に行けばいいかわからない」という問題が浮上しました。

この病気を判定するためには、すぐに内視鏡や腸カメラで診察が必要です。しかし、設備が整っており、すぐに受け入れてくれる腸外科医を知りませんでした。そして、その日は土曜日でした。

土曜日は専門検査の休みの場合が多く、複数の病院に問い合わせる必要があります。

また、私は動きたくありませんでした。動くと直後に激痛が走るのです。病院で痛みを耐えながら待つよりも、電話で完全に打ち合わせをした上で病院に向かいたかったのです。

両親は午前8時前に胃カメラがある近くの病院に電話しましたが、早すぎたために全く繋がりませんでした。

そのため、救急に電話して病院を教えてもらうことにしました。後で調べたところ、7119に問い合わせるのが正解であったことがわかったのですが、母がその時にかけた電話は119でした。住所を言った途端に救急車が到着してしまい、私は救急車のお世話になることになりました。


初めての救急車?

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たぶん初めての救急車ではないはずですが、覚えているほどの記憶はありません。子どもの頃に乗ったことがあったと思われますが、そのときの記憶は今もなく、無意識のうちに話したり吐いたりしていたそうです。ですから、今回の救急車は初めてのように感じました。

救急車の中で見えたのは天井だけで、揺られながら何かにぶら下がっているものをずっと見ていました。

病院が決まるまでには救急車の中で15分ほどかかりました。近くの大きな病院でも内科が難しく、2件ほどの連絡を取った結果、家から約20分かかる病院に行くことになりました。

到着後、すぐに処置室に通され、先生は「虚血性大腸炎でしょうね。はっはっはっ。今もそれで入院している患者さんがいるよ!流行ってるのかなぁ?」とコミカルな口調で教えてくれました。

とても面白い先生で、3日後には院長先生だとわかりました。ホームページの自己紹介に「アットホームな病院を目指している」と書かれていた通り、確かにそんな雰囲気の病院でした。

夫も駆けつけてくれ、すぐに入院することになりました。

しかし、私は困惑と苦悩の中にいました。

明日からもたくさんの予定があります。締め切りに追われる仕事もあります。どうしようかと思案するばかりでした。

余談ですが、娘が私の異変に気づいたのは、救急車に乗る前に母親が彼女を起こしたときだったのではないかと思います。(大汗)


虚血性大腸炎での仕事について

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幸い、土曜日に入院したので、最初の2日間は休みでした。そのため少し余裕を持って過ごせました。

当初はパソコンを持ち込んで、なんとか仕事をしようと考えましたが、あまり得策ではありませんでした。3日間ほどダルさ、頭痛、点滴による眠気があったからです。

消灯時間は21時で、個室は空いておらず大部屋に泊まりました。タイピングの音が響き渡るので、18時以降は仕事ができませんでした。検査の時間なども考慮すると、仕事ができる時間はごくわずかでした。

お客様からの励ましのメールには「こんな時には仕事をせずに!」と書いてありましたが、それができない自分を情けなく感じることもありました。


虚血性大腸炎での食事と経過について

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入院初日はお腹が痛く、水を飲むことも辛かったため、点滴だけで過ごしました。

2日目からは、点滴4本に加えてポカリ2本とお茶を飲むようになりました。出血はなく、鈍い痛みがありましたが、頭痛がひどく、微熱がありました。これは断食後の好転反応とされ、我慢しました。

3日目の昼からは流動食(ジュース、お汁、重湯)を食べるようになり、ほぼ健康体に戻りました。軽い頭痛や微熱があり、気持ちがまだ重かったです。下痢もありました。

4日目の昼からは、歯がなくても食べられるような固形物が出てきたため、お粥を食べ始め、粒や量を増やしながら7日間続けました。微熱や下痢は続き、点滴も6日間続きました。

一番つらかったのは、大腸カメラ検査の日と、最初の3日間でした。
痛み止めを毎日飲んでいたこともあり、それ以外はそこまで辛くはありませんでした。

虚血性大腸炎での体重について

女性的に気になっていた部分を書いてみます。

入院して最初に測った体重よりも、3日目には1.5kg増えていました(おそらく浮腫であろうと思われます)。そして帰宅後、夕食を摂った後には1kg減っていました。

基本的に、入院しても、そんなに体重の変化はないようです。体重が減る場合は、筋肉が減少した証拠であるという記事をどこかで読んだことがあります。

虚血性大腸炎は再発の可能性が高い病気で、入院期間は1〜2週間が目安のようです。長いように感じますが、再発が多いためだそうです。治療が十分でない場合には、すぐに再発してしまいます。

そのため、私はできる限りこの病気にかからないように努めましたが、入院中に過ごした日々が終わると、以前のように仕事に打ち込まなければなりませんでした。健康と仕事を両立することは、クリエイターにとって相当に難しいことです。私は、うつ状態になってしまったクリエイターも多く知っています。

日常的に運動をしないクリエイターは、腸の動きが鈍く、セロトニンを作ることができないため、健康に悪影響を与えているかもしれませんね。


虚血性大腸炎での入院での豆知識

虚血性大腸炎では雑菌が入るのを防ぐために、お風呂に入れない日が続きます。3日くらいで頭がかゆくなったので、私は4日目にお風呂に入りました。

お風呂には洗面台があり、頭だけならもっと早くから洗えたかもしれません。

お風呂に入れるかどうかはこちらから看護師さんに聞いたことがきっかけでした。お風呂に入る際は、点滴のままナイロンを巻いて入ります。もしお風呂の指示がない場合は、待たずに看護師さんに聞く方が良いですよ。

入院での持ち物として、エコバッグは何かと使えました。お風呂やコインランドリーでの使用も便利です。

もし他に体の痛みがある場合は、薬を処方してもらえます。私の場合は、アレルギー性鼻炎や過敏性腸症候群の薬ももらいました。何でも看護師さんに相談してください。


まとめ ない

大きな企業に勤めているWEBデザイナーさんの場合、急に入院してもさほど問題ないかもしれませんが、私の場合は自営業なので、とても苦戦しました。

ひとつだけ言えるのは、「今ある状況は自分が全て連れてきたものだ」ということです。

この状況が今、何故必要だったのかはまだわかりませんが、それについて考えるきっかけになったと言えます。

人間誰しも立ち止まらなければならない時があります。私の場合もそのような状況に陥りましたが、喜べる日に早く出会いたいと思っています。

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