鬼滅の刃を読んで、個人的な人気の理由の考察・感想~セリフ、コマ構図編~

 鬼滅の刃が流行りに流行っている。筆者がジャンプで第一話を読んだとき、「うわぁ、癖のある絵だなあ、残るのかなあ(打ち切りにならずに)」と思いながら読んだ。他の連載とくらべると少し読みにくい絵だし、派手に必殺技も出てこず終わった一話は、妙に印象的だったことは覚えている。しかも、一話から少年ジャンプで””生殺与奪の権を他人に握らせるな!!””と主人公に叱りつけるキャラがでてきて、「ええ...少年誌やぞ一応...セイサツヨダツ...」と少し唖然とした。それで、ツイッターを見ているとよく”鬼滅の刃”の名前が出てきていたので、みんなやっぱり印象に残るんやなあ...と思って目を通していた。そこではセリフ回しに対する感想が多かったことを覚えている。

 なるほど、と思い読み返すと、まず反射的なセリフを言った後に、付随してそれに対する説明をしていることが多いかも...と感じた(抽象から具体ではなく、感情から感想といったような...)。誰か(ぼくりりさんだった気がする...)がツイッターぽいと言っていた。瞬間的な感想・事実から一言添えるといった形だ。感情先行型といってもいいのかもしれない。

 ここに鬼滅の刃の人気の理由、読みやすさ、勢いがあるのかもしれないと考えた。同じ言葉を何度もしゃべったりモノローグしたりしているのを、よく見る。確かに普段の生活で、「え、やばいやばいやばい」といった、同じことを反復して感情を表す人は多いと思う。もしくは、やばいと思っている時間はやばいと言い続ける、といったことだ。そのセリフを読んでる間にその気持ちになってこれるし、気持ちがついてくる。また、感情・事実先行的なセリフは漫画を読み慣れていない人でも読みやすく、隅々まで読まない一般的な読者も、さっとで状況把握が容易になっているのではないか。これにより、まず感情移入から入ることができ、少し癖のある絵でも、勢いよく読ませ、読みやすくなっているのかもしれない。

 また戦闘の描き方も、基本的に技の応酬で終わらせていく。例えば、ドラゴンボールであったり、少し前のバトル漫画は戦闘シーンを殺陣的に、というか、丁寧に殴る・蹴る場面をみせたり、構図を工夫したり、一挙手一投足を描くタイプの物が多い。けれど、鬼滅の刃は技を出し終わり、ということが多いと見れる(穿った目でみると、技名叫んで終わりやんけ...となる、技をマネする小学生あまりいないのでは...叫んでる子は多いかもしれないが)。また、画面も効果音・エフェクトでなんだかよくわからないけど凄い!となる効果の多さだ。しかしこれらも、勢いよく読ませるという効果に一役買っているのだと思っている。技名の連呼は、感情のセリフの連呼とつながり、すっと感情移入して読める、気づけばキャラクターを応援してしまう。

 またギャグシーンも、キャラクターの書き分け・コマのトーンでギャグとして成立しているのではないか?と思ってもよいようなことが多いと見ている。当然キャラクターは”一般的”に見たらおかしなことをしているので可笑しくて面白いのだが、炭治郎が、2話冒頭で籠と藁と竹に無理やり代金を払うシーン。これは炭治郎の強すぎる責任感からきている。炭治郎本人からしたら、おかしいことでなく当然なことで、いわば”天然”にこのシーンは描かれている。善逸のやたらなみっともなさも、キャラクターとしての天然であり、愛すべき個性として見ることができる。ここをシリアスなトーンで見たらただイラつくものなのではないだろうか?(炭治郎との対比もあって)ここで言いたいことは常にキャラクターは同じ個性で筋を通して、感情の勢いをもってセリフを話している、ということだ。そうでなければこのキャラクターはこういうキャラ、と納得しながら読めないだろう。

 ここまで一貫して、兎に角、勢いが凄い。そして、その勢いに感情をのせて読むことができると書いた。その勢いでよめるところ。またしっかりと読むとキャラクターの個性がきちんと一貫しており、様々なことに思いをはせられる深みがあること(きちんと主要キャラクターの過去は描かれている、また作者様は、かなりきっちりと設定を決めるタイプのようだ)。その深さを補強してありあまる絵、世界観・設定の強固さ。サラリと読み楽しく応援できるが、きちんと読むと深く感動でき、各キャラクターの哲学も垣間見える。この同居は、セリフ・構図に勢いがあるからなのではないかと思いました。

ぼくは善逸さんがすきです。では

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