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ブルシットジョブ クソどうでもいい仕事の理論

お疲れ様!
今日こそはブルシットジョブについてまとめていきます。



ブルシットジョブと言うのは、日本語訳で「クソどうでもいい仕事」。相当汚い言葉だよね笑
超簡単に要約すると、世の中はテクノロジーが進歩したはずなのに、どんどんクソどうでもいい仕事が増えていっていませんか?と問いかけた本。
私たちは、自分がやっている仕事がクソどうでもいいことをうすうす感じながらも、どこか見て見ぬふりをしているところがある。これには思い当たるところがありすぎて苦しくなるくらいだけど…目を背けず、本書のポイントをみていこう!

意義のある仕事は低賃金、ブルシットジョブは高収入


なんでって思うよね。意義のある仕事と言うのは、全般的に低い収入であることが多い。
例えば看護婦さんが賃上げを要求すると、「意義のある仕事をしているんだから、金を儲けようとするな」みたいな動きが出てくるらしい。これを道徳羨望と呼ぶそうよ。ちなみに教師もこれに上がってた。教師がストライキをしようものなら、ものすごくバッシングが来る。やりがいのあることをしてるんだから、低賃金で我慢せい!みたいな。
逆にブルシットジョブは高収入なことが多い。なんだろうなんだろう…高収入でないとやってらんないんだろうね…高収入であることで、自身の仕事の無意味さを見てみなくさせてるのかもしれない。だから成り立ってるのかもね。
つまり、意義があるかどうかと高収入かどうかは、全然関係がなくて、むしろ相反する関係になってしまっているという指摘でした。

ブルシットが増えた大きな要因は「ネオリベラリズム」


ちょっと難しい言葉が出てきたので、かみくだいて説明するね。
テクノロジーの進歩によって、人々はどんどん働かなくてよくなるはずだった。現に、1960年代70年代位には、脱労働!みたいな動きが広がっていて、週15時間労働になる世界も夢ではなかった。
でも、ここで政府が「みんなが働かなくなる…!
とびびってしまったんだよね。
そこで出てきた考え方が
「ネオリベラリズム」新自由主義ね。
キーワードとしては、自己責任、市場原理、民営化
どれも私たちの今の世の中を覆っている考え方だよね。この考え方が主流になって、私たちは、もっともっと市場にとって役に立つ人間にならなきゃ!と追い立てられるようになった。
それと同時に、何かを生産する仕事ではなくて、物やお金を移動させる金融の仕事が増えていった。これがどんどんBULLSHITジョブを増大させたんだね。
要するに、テクノロジーが発達して
「仕事をしなくて済むぜ〜いえ〜い!」と一昔前の人は換気していたのに、
ネオリベラリズムの考え方だったり、金融の仕事が大きくなってきたことによって
「テクノロジーによって自分たちの仕事がなくなってしまう!」
と人々の気持ちがどんどん変わっていってしまったんだよね。この状況をウシシと眺めているのは、さて、誰でしょうな。資本家や政府の方々かな。

働くこと自体が素晴らしいという考え方も、私たちはどんどん植え付けられた。1日中ネットサーフィンしてる人はだめな奴、みたいな考え方あるよね。でもネットサーフィンしてる人は特に誰も迷惑をかけてないよね。もしかしたらブルシットジョブをしている人の方が何かしら社会に悪影響与えていることさえあるかもしれない、と本書で指摘されていて、確かに、、と思いました。

利益よりケアを


『今は利益を取るのを得るのが大事で、人をケアすると言う行為の価値が低られている。そういう社会をもう終わりにしていかなきゃいけない』
という言葉が印象に残ったよ。
私も今子育てをしていて、子育てはブルシットジョブでは絶対ないけれど、社会的な地位が低いなってすごく感じる。
利益を得ようということよりも、まずは誰に寄り添うか、誰の助けになろうかみたいな視点を持つことを忘れてはいけないよね。

この本はちょっと難しいし、やや極端な話のようにも聞こえるかもしれないけど、私たちは資本主義的な世界観に慣れきってしまっているから、たまにこういう本を読むことで冷静になれるなって思ったよ。
ただ、資本主義が終わるかって言うとやっぱりこれは難しいのかなとも思う。ついさっきホリエモンの動画を見ててなるほどって思ったんだけど
「人類は、誰かがパンドラの箱を開けてしまうと、もう過去には戻れない」みたいなことを言っていて。
資本主義によって、全員が幸せになれるとは限らないけれど、一部の人には相当な旨味がある。その旨味みたいのを知ってしまう(パンドラの箱を開ける)人が誰か数人でも現れると、過去には戻れない。私たちはそんな状況にいるのかなとも思った。

ちょっと支離滅裂ですがこの辺で。引き続き考えたいテーマだなぁと思います。ではでは。 まる

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