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小市民の知的生産の遍歴 その1

引け目があるからだろうが、若い頃から「知的」という言葉に惹かれる。
そんな「知的」に「生産」なんて言葉がついたら、もうなんと言ったらという感じである。

「知的生産」との出会い

この「知的生産」という言葉に初めて出会ったのが、大学何年生か忘れたが、とある授業の中だった(もちろん何の授業かも覚えていない)。
確か、「論文とかレポートとか書く時には『知的生産の技術』を参考にすると良い」とかいうようなコメントをチラッと話したのだったと思う。

数日後、大学生協で購入した本書を読んだ私はちょっとした感動を覚えていた。形から入る私は、早速B6のレポート用紙を購入していた。本来なら京大型カードを購入すべきなのだろうが、保存方法がよくわからないので、容姿サイズだけ真似たのだった。しかもバインダーとかに綴じられたらいいな、ということで、2穴のあるものにした。
中途半端に形から入ろうとして、本末転倒になるところから、すでに小市民的な感覚が透けてくる。

ちょうど、卒論の作成を始める時期も近かった。早速卒論のネタになりそうな情報をこの用紙に写していった。
その後紆余曲折を経て、卒論は無事に完成した。
このやり方が生産的だったか、そして論文の質を高めるのに貢献したかはなんとも言えないが、とにかくこれが梅棹式でアウトプットを生み出した最初(最後かも)だった。

停滞

大学卒業してからは、知的生産らしきものをやる機会はなくなった。
たまに研修などのお勉強の場で試しにB6のメモ用紙にメモを取るくらいになった。

しかも、今になって考えれば、このやり方は相当イマイチだったと思う。
論文のようにアウトプットにまとめる時には、いろいろな情報を断片化して組み合わせることのできるようにすることは有効だが、学んだ内容を理解、習得しようとする時になると、断片化した情報があってもそれをどう全体像として理解するのかには全く役に立たないことがわかった(わかったのは最近になってである)。ここは、素直にノートか何かに学習内容を書き込んでまとめた方がよかったのだろう。

そして、家庭を持つようになると、仕事以外でものを書いたりする機会は激減した。B6のメモ用紙もどこかに行ってしまった。

そんな時代が7-8年ほど続いた。
そして、転機が訪れる。


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