孤児院にて

    あれから6年が過ぎた。その後も機会があるときは小銭程度にすぎなくても寄付するようにしている。パタヤ孤児院もコロナパンデミックで影響を受けていることだろう。せめて食事やマスクが子どもたちにいきわたっていますように。


 以下の文章は2014-02-24に書いたもの。この日見た衝撃は今も、そして生涯忘れない。

 最近日本で、タイガーマスクを名乗る孤児院への寄付者がいて話題となったが、それこそ子供の頃タイガーマスクのアニメで見た程度、こういった施設を訪れたことは過去になかった。

 ところで、この日曜日2014年2月23日(忘れないようにしよう)、アパートの有志、要は娘友達母親会みたいな連中で Pattaya Orphange (パタヤ孤児院:Father ray foundation により設立さる)にタンブン(寄進)に行くことになっていた。いつものことながら私は運転手兼荷物持ちがてら、それほど何か深く考える訳でもなく同行しただけであった。しかし、この訪問で少なからぬショックを受けることになる。

 午前10時前、施設につくと玄関前の机に持参したお菓子類等を並べて写真を取り、キッズルーム入口の注意書きを読んでから中へ入った。

 予め、寄進に慣れたメンバーから「後で係の人が大変だから抱っこしたくてもしないように」と聞き、ありきたりに憤慨しガッカリしたことを覚えている。しかし、この意味を本当に理解するには自分自身で体験する以外なかったのだ。


 実際、赤ちゃんも子供らもほとんどが抱っこして欲しがる。その訴えるような目を見ながらも抱っこできず、中には拒否されたと感じて泣き叫ぶ子もいる。しかし確かに何十人もの子供に比べ、数人と言っていい数少ないスタッフを見れば、抱っこしてあげれば等とはとても言えない。無責任な訪問者が帰った後、子供らが抱っこをせがんでもスタッフの手は全然足りないのだった。それはスタッフそして子供達にとってもキレイ事なのだ。


 寄付は食事代として訪問者1組2,300バーツ(恐らく嘗ての100ドルかと思われる)。これぐらいでは本当に情けない位の献立しか出せない。今回はカイチャオ(タイ風玉子焼き)とゲーンキャオワン(タイ風グリーンカレー)、デザートにアイスクリーム、と3種類のみ。なお、寄付者達は食堂の一角で、食事をよそおう手伝いをしたり、孤児たちの食事光景を観ること、或いは観せられることになる。

 大体の子供らは丁寧にワイ(合掌)して行く。しかし決して全員ではない。「私達も人だ。動物園じゃないんだ。見世物じゃないんだ」合掌したくない気持ちだって充分すぎるほど理解できる。

 寄付金は決して不正に使っていない、ということを証明するためには、多分こうするしかないのだろう。でも何かやりきれない思いを隠せない。彼らは同じ人間なのだ。

 今回の訪問グループは子供達も一緒だったので表側のみの見学であった。本当は身体障害者の人達もいて、それは大きな衝撃を受けるらしい。よちよち歩きからティーンエージャーまで、案内役の孤児院スタッフによれば130名程在院しているという。もちろん美談ばかりではない。影も闇も汚いことだってある。退院してからもちゃんと働かず、金がなくなると孤児院に戻ってきて食事をしていく者もいるそうだ。

 さて、一体全体、自分に何が出来るのだろう? マザーテレサのような聖人ではなく、家族を食べさせるだけで精一杯な中年親父でしかない。それでも、神・運命・善悪・愛・人生、こういった種々について深く考えることになった。常に出来なくても、正直言って短期間でこういう意識が薄れるにしても、偽善でも何でも、何もしないよりはいい、ゼロよりはいい、と強く思う。少なくとも今現在は、何もせずにいられるほど無関心ではいられない。

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