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プロポーズ

一週間前くらいにプロポーズをされた いつのまにか自分でも驚くほど好きになってた相手からのプロポーズ、まだ現実じゃないみたい まるですごく価値のある女の子かのように扱ってくれて、 離れようとしたときも、離さないでいてくれて、 心も物理的な距離も近くにいようとしてくれて、 一緒にいる中で、わたしにとって、必要とされることがこんなに重要なことだったんだと初めて気づいた こんな難しくてめんどくさい女なのに、わたしじゃなくちゃだめ、絶対離れないって言ってくれたこと、うれしすぎて自分

    • 最近のわたし

      最近、自分のことが嫌になる 特に他人への振る舞い方を上手にできなくて、自分にうんざりする こうすれば感じが良いとか、こうすればかわいらしいだろうなっていうことは、もう十分にわかっている わかっているのにできないなんてうんざり 関わる人の数だけ自分の性格があって、 この人といる自分が好きだと思うときもあれば、 この人と関わっているときの自分が大嫌いになるときもある 最近は後者の自分の方が多くて、自己嫌悪になってしまう 本当は大好きなのに、それがばれないように、ばれたら嫌わ

      • わかってるのに

        20代も後半になって、 10代の頃よりもいろんなことを経験してきたし、本も読んできて、自分の感情に対する対処法をわかってきたつもりなのに、 年々苦しくつらくなっているのはなんでだろう 自己肯定感を高めるためには自分を許してあげるだとか、他人と比べて虚しさを感じるのではなくてできない自分を認めることが大事だとか、誰かに幸せにしてほしいと助けを求めるのではなくて自分で自分を幸せにするんだとか、ポジティブなところに幸せがやってくるだとか、いろいろわかってはいるの わかってはいるの

        • 苦しくて切ない感情

          大好きで大好きで仕方ないひとがいる だけど、もうすでにその人にとって大切な誰かがいて、わたしと同じ気持ちをわたしに向けることはない この気持ちはどう処理すればいいのだろう 毎日毎日顔を合わせるから余計好きになる 離れればこんな苦しさからは解放されるのだろうけど、離れたときの悲しさというものは必ずあるはずで、近いうちにくるであろうそれを想像したくもない どうしようもなく好きになってしまった どうにもならないならこれ以上好きになりたくない こんなに切ない苦しい感情がこの世の中

        プロポーズ

          結婚指輪

          既婚者の結婚指輪が大嫌い この人は私のものですと後ろで奥さんが言っているようで、居心地が悪くなる どうして結婚した人に好意を持ってはいけないんだろう めちゃくちゃなことだとわかっているけど、人生1回だけしか運命の人を選べないって残酷すぎると思う

          結婚指輪

          花火大会

          私はなんと言っても花火大会が大好き 花火が始まる前の道中のわくわくする感じ すれ違う人が浴衣を着ていたり、カップルや友達と歩いていたり、それぞれがいろんな形でうきうきしてる 屋台なんてあればそれはもう最高 値段に合わないとわかっていても何か買いたくなる そして打ち上げ花火は大きければ大きいほどいい 真下で見れれば最高で 自分も火花に飲み込まれるような錯覚に陥る瞬間が大好き 想像を上回る大きさの花火にぞくぞくする 非日常的な気持ちに飢えていたことに気づく 人混みは苦手だけ

          花火大会

          好きという感情の備忘録

          もうこの恋は報われることがないから、今回の「好き」の感情の備忘録として残しておきたい こういう感情は、こういう時にしか出てこないものだから、書いておきたい 柔らかい優しさに本当にやられる 落ち着く空気感 控えめなところがすき 仕事だと立場のある大人なのに、プライベートなことを話すときは歳が近く感じるところにキュンとする かっこいいと思うけど、全てかわいいとも思ってしまう この人とこの先どうこうなるのがないと決まっているから、虚しさと正解のない後悔、今となっては諦めの気持ち

          好きという感情の備忘録

          自分を愛すること

          今がこれで本当にいいのか、果たしてちゃんと幸せなのか、もっと幸せになれる道があったのではないかと考えてしまうたびに胸が苦しくなる。 その人にとっては絶対完璧ではないことがあるのをわかっているのに、 羨ましいと思うことをやめられない。 誰かから見れば自分は十分幸せなのはわかってる。 今を幸せだと受け入れられる人から、今よりもっと幸せになっていくことだってわかってる。 こんな自分も含めて許せるようになることが、自分を愛することなんだとわかる。

          自分を愛すること

          僕等がいた

          もう10年も前の映画、漫画だということに驚いた。 久しぶりにこの映画を観たくなって10年ぶりに観た。 こんなまっすぐな女の子がいるのかと思うほど、一途に想い続ける主人公。私だったら、帰ってこない人よりも、自分のことを何年も好きだと言ってくれる人のところへ行ってしまうと思う。 傷ついているけど元気そうに振る舞う主人公のことを、「溺れているのが見えないのか」と言ってくれる友人のシーンが中でも共感してボロボロ泣いた。 そうだよね、不幸そうにして声を上げる人ばかり可哀想に思われ

          僕等がいた

          正しい恋愛

          「間違えた恋愛はちゃんと苦しくなる。 正しい恋愛はちゃんと幸せになる。」 誰かが言っていたこの言葉にものすごく救われている。 苦しい恋愛は、間違えているんだと心が教えてくれている。 そう思えば、悲しいことなんて何もない。 正解が必ずあって、まだそこに辿り着けていないだけだと思える。 自分は運が良くて、きっと愛される価値のある人間だ。

          正しい恋愛

          大人になるということ

          年を重ねると、自分の中にルールのようなものができて、だいぶ生きやすくなった。 これが「こだわりが強くなる」ことかと、がっかりしたけれど、生きやすくなっているのだから仕方がない。 他の人の意見も取り入れられる、子どものような柔軟さは忘れずにいたい。

          大人になるということ

          言葉に表せない「好き」

          好きな人のことをなぜ魅力的に感じるか考えてみた なぜ好きかなんて探せばたくさん言える とにかくかっこいい、顔がなぜか好き、不器用なところがかわいい、仕事がものすごくできる、頭がいい、優しい、言葉が丁寧、勉強熱心、物知り、言葉足らずなわたしの言わんとしていることを汲み取ってくれる、声がすき、おしゃれなところ、持ち物がこだわられているところ、良いものを積み重ねてきたのだろうとわかるところ、、、 まだまだたくさんある だけど これといった決め手は非言語的なところで、その人が

          言葉に表せない「好き」

          怒りと悲しみの関係

          今日、ものすごく心にこたえた出来事があった。 仕事中だったけれど目の中に涙が渋滞してしまって、こぼれないように必死だった。 イライラしたから、わたしはこの感情は怒りだと思った。 だけど、よくよく考えると、急に怒りがきたわけではなかった。 なんでよくわからないくせにそんなこと言うの?なんでわかってくれないの?という悲しみが根本的なものだった。 それがいつのまにか怒りへと変化していた。 それに加えて、言い分はあるのに言い返さない自分にも嫌になった。 思いを飲み込んで自分が悪者

          怒りと悲しみの関係

          高校受験を失敗して学んだこと

          何かに挑戦するとき、自分のことなのにどこか他人事に思ってしまっている節がある。 物事に向き合う意識がぼーっとしているときは、わざわざ、「自分のことだから、自分で準備をしっかりしなければ」と思い直す始末。 自分の人生なのに、わざわざ思い直さなければいけないなんてものすごく不思議。 どこかで誰かがなんとかしてくれるという気持ちが強いのだと思う。 自分が自分の人生に対してふわふわしていることに気づいたのは、今思えば、高校受験を失敗したときだったと思う。 それなりに勉強していた

          高校受験を失敗して学んだこと

          自分が特別だと思いたい

          自分の世界では自分が主人公だから、わたしなんか、と思っていても、心のどこかでは必ず自分が特別だと思っている。 そんなことはないのに、自分は他人とは違うんだと信じて疑わず、特別に扱われたがっている。 常に馬鹿にされたくないと思っている。 そういう自分を恥ずかしく思ったりもする。 他人からどう思われているか考えすぎて、考えたことが現実だと思い込んでいる。 自分の中だけの考えのくせに、それがまた自分を辛くする。 自分が特別なくせに、他人からは悪く思われているんじゃないかと思う

          自分が特別だと思いたい

          苦しいゆえの美しさ

          絶好調で順風満帆なときより、苦しいときの方が素晴らしく美しいものを生み出せるのではないかと思う。 これは特に、芸術的なことの方がが分かりやすく感じる。 ミュージシャンでいうと、苦しさの真っ只中にいるときの作品ほうが歌詞やメロディーが胸に響く。 周りの目を気にすることなく、自分自身の苦しみに向き合っている、というひたむきさが美しく感じるのだろうか。 本人からすれば、苦しいときにそんな意識はなく、絶好調なときのほうが、より良いもの・美しいものを創り出さなければと考えると思

          苦しいゆえの美しさ