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日常の記(13)竹の割りばし

 割りばしというものがあって、その取扱いは時代時代の世論に翻弄されている要にも見えます。
 とは言え、筆者がコメントできるのは自分の人生の範囲の時間にすぎません。その範囲の記憶では、まずは「使い捨てのはしが森林資源を痛めている」という話がありました。そして次に、「割りばしは間伐材の有効活用だから、森林資源に影響はない」という意見が続いた様に思います。さらに、「割りばし生産の原料に外国の森林資源を使用していて、それは間伐材利用等に限られておらず、やはり森林資源を痛めている」の様になっていった気がいたします。
 そういった具合に、諸説が時代により入れ代わり立ち代わり登場、といった感じで現在に続いていると思われます。その辺りに関する割りばしとエコとの関連をめぐる世論の動向は、他人の言うことを鵜呑みにしてはいけないという教訓の、丁度良い例になっている要にも見えます。
 そして、最近の筆者の見聞きするところでは(信頼のおける資料を参照したり責任のある宣言があったり、ではないのですが)、最近は森林資源保護、国産品利用、安全、加工コスト等の関係により、割りばしの素材が木製から竹製にスイッチされつつある様に感じます。
 この竹の割りばし(最初から分離していて、割らない製品もある様ですが、「割りばし」のままで)が実は、木製と比較してとても箸に向いている、そんな個人的な使用感を持っているわけです。
 いささか不衛生かもしれないのですが、この竹製の割りばしについて筆者は1膳を一定の期間、洗いながら捨てずに使うことがあります。
 とは言え、従来の木の割りばしからの置き替え役としての竹の割りばしは、恐らく1回毎に廃棄する使い方は木の割りばしと同様であって、繰り返しの使用には元来適していないであろうとは承知しています。
 しかし竹の割りばしは、使用後に洗うと汚れがしっかりとれて蓄積しない様に見えますし、きちんと乾燥さえすればふやけて変質することもなく、また食品の匂いも使用後に時間が経過するとほぼ解消されてしまいます。その辺はむしろ繰り返して使う通常のおはしに近い案配で、少なくとも筆者の手元では、使い捨て想定とは思えない程に数日繰り返しての使用に立派に耐えている様です。
 使い捨てのおはしとして世に出している以上、繰り返し使用を製造・頒布元が推奨することはなさそうですし、造形的にも竹の節部分によるデコボコや歪みもそれなりに大きいので、恒久使用型の製品としてはやはり弱いと言わざるをえないでしょう。しかし、1膳もらってからそれを何回か洗って乾かして再利用する様な使い方は、従来の木製の割りばしよりも可能の様に見えます。
 衛生面での抵抗感などは人それぞれですから、おおっぴらに推奨することはしないのですけれどね。それに、本稿でなにやら書いたとしてあまり世に影響を与えることもないでしょう。しかし、省資源には役立つ可能性もあるかもしれません。
 そのあたりに関して若干ゴニョゴニョと言葉を濁らせつつ、それでも書いてしまうとするならば、竹製の割りばしをある程度繰り返して使用するの、そこそこ悪くない感じですぜ(ただし、状態は製品毎や個別材質毎の差異に依存します)。

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