虚構新聞展に行ってきた

 労働と睡眠のほか、1日3局の三麻と週2のジム、週1の飲み会、少しの勉強しかしない私であるが、たまには社会や文化を涵養し、高潔な人格の形成に努めている。そのような趣旨から、先日4月3日の15時から16時、後ろ指をさされながら年度始早々に時間休暇を取得して大阪・中之島で開催されている「虚構新聞展」に行ってきた*ので、概要をまとめる。
*2024年3月27日から4月8日まで開催(4月2日を除く)。前売り800円、当日1000円。

現実にやっているとは…

 そもそも虚構新聞とは、ツイッターで出会った虚構を新聞っぽく発信する新聞である。今回の展示会は、創刊20周年を記念して行われたイベントであった。たまたま大阪赴任となったため、仕事場から徒歩圏内ということもあり、思い切って行ってみたのである*。
*写真可、動画不可。

 平日の雨の午後であったため、館内は比較的すいていた。カフェ+展示スペースでこじんまりとしている。入口すぐのところに、20年の虚構新聞の年表、代表的なニュース、実際のニュースが3段になって書いてある。中には虚構新聞の「誤報」=現実になってしまったニュースも報じられている。このあたりは現実のメディアよりきちんとしている。現実のトレンドに乗りつつ、あり得ないニュースを報じる虚構新聞にクスリとさせられる一方、私たちの生きる現代が、首相や大統領の交代、天皇の生前退位、コロナ、五輪の延期、ツイッターの名称変更など、想像できなかったようなニュースに溢れていることに気づかされる。なお、後から来た2人組の方は、最初年表の読み方が分からず、現実のニュースを指して「あれ? これは虚構??」となっていた。虚構新聞社の当初の目論見は成功していると言えよう。

 その奥では、カフェや軽食が頼めるスペースがある。私が訪れた日、一時的に品切れとなっていた人気商品、「干しバウムクーヘン」*が南信濃村から届いたため、さっそく頼んでみた。

私「あ、この『干しバウムクーヘン』一つください」
店員「バウムクーヘンですね」

イベント系の注文あるあるだが、私はかねてから、「思い切ってふざけた名前の商品名をきちんと言うと、ふざけ要素が消えた略称で返され、益々恥ずかしくなる現象」に名前をつけたいと思っている。
*干しバウムクーヘンは700円。レシートには「虚構)バウムクーヘン」と表示される。このほかにも「ベルリンの壁丼」などのメニューがある。

干しバウムクーヘンは美味だが、マークシートより小さい

 さて、南信濃村が暖冬だったかどうかは分からないが、水をかけたり凍らせたりを何度も行い、厳しい寒空の下作られるという「干しバウムクーヘン」、味はかなり美味しかった。クリームとメープルをかけていただく。下敷きには、衛付嵐大学法学部の2024年度英語解答用紙があてがわれていた(まだ4月3日だし、一般には2024年度の入学試験は未来ではないか、半分誤報ではないか、という懸念は抱いた)。マーク問題1択1問で、解答記入欄に正しくマークせよというものである。ただし、塗りつぶすべき解答欄がダチョウの卵ぐらいの大きさになっている。

 傍らでは、虚構ニュースがテレビから放映されており、新聞記事のスクラップ等も置いてある。テレビのアナウンサーはどういう経緯でこの仕事を引き受けたのかが気になった。
 個人的にお気に入りの記事を一部だけタイトルベースで紹介すると、「タピオカの産卵」「ダイヤモンドから炭の生成に成功」「疑似科学信じやすい―9割はO型―」「静止画中央に円と三角、必ず触る習性」「社内トイレ、電子化―ペーパーレスで経費節減―」等である。私は皮肉が効いている記事が好みなのだろう。

 このほか、様々な展示物がある。虚構新聞のデスク、穴のずれたパインアメ(現実に作られた)、2mのバトン(誤報となった)、空気椅子(実に見事な展示であり、初めて見れたので感動した)等である。なお、展示ブースの片隅に「W.C.→」と書かれたスペースがあったが、あの先にトイレがあるのかどうか、最後まで謎に終わった。場合によってはwater closetではなく汲み取り式だという高度な虚構だったのかもしれない。見ておけばよかった。

空気椅子(実用新案権は未取得)の展示

 最後に来場者からの紙ツイートやアンケート、物販コーナーにて終了。ここにもインプレゾンビがいた。そのセンスに脱帽する。「それは本当ですか?」インプレゾンビの鳴き声は、この空間においては意味もなく深淵だ。

 さて、まとめらしきことを述べよう。嘘のような現実が増え、ファクトチェックなる用語が一般的になった現代の姿は、部分的に虚構新聞が20年前から先取りしていた世界なのかもしれない。また、虚構を見極めつつ、虚構(時に現実になった場合も含め)を愉しむという態度は、現代の情報の洪水に流されないためにますます必要なものになるだろう。「うそ」と「そう」は順番を入れ替えただけだし、factとfictionの語源はそれぞれラテン語のfacere(作る、行う)、fictio(作られたもの)であり、その根本は同じである。現実と虚構が再び接近する現代を、楽しく賢く乗りこなす、「虚構新聞」はそのヒントをくれるかもしれない。

社主と想いを重ねる

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