2024年度1Qを振り返る

 夙川も大阪城も、普段静かな吉野まで、人・人・人が薄桃色の隙間を埋めるようにして動いてゆく。そのどれもが各々に、語らい、眺め、見上げ、指をさし、食べ飲みしながら、薄桃色の景色に劣らずその頬を紅潮させ、静かな希望をその瞳にたたえている。
 短くも厳しい冬を越え、泉のように、バネのように、人・動植物・花粉が動き出す4月、1年の始まりである。

 さて、大きな職場の異動や立場の変更がなかったことから、Mは比較的穏やかな4月を迎えていた。無論、世間的には様々な別れがあり、様々な出会いがある季節である。赴任先である関西を去る友が居り、また関西に来る友が居る。同棲や単身赴任を新天地で一から始めるものが居る一方で、積み残したwomenをペンディングしながら関の東西を往復するスマートでグローバルな狂人も居ることだろう。

 Mは皆々が胸躍らせ髪引かれる春特有の空気の中にあって、一人動かず、何も変わらず、たまにくしゃみをし、アレジオンを飲み、逢坂の関に鎮座して、行くところも帰るところもない蝉丸になったような心境で、この平々凡々とした春を独り過した。

 仕事はそこまで忙しくないが、17時以降の飲み会とクラブ活動(麻雀)は忙しかったから、Mは平日をそこまで暇せず過した。しかし休日は暇である。熱中できる趣味のない人間であるから、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す以外にしていたことと言えば、二日酔いで寝ているか、麻雀の自己鍛錬をしているか、「あなたへのおすすめ」を見ているか、どこまでも湧いてくるインプレゾンビおよびTemu広告と戦うことで、なけなしの人間としての尊厳を保持しているかのいずれかであった。

 あとは今年から新兄さん? というのが始まったので、15年ぶりに株というものに手を出した。なお15年前は、赤カブと白カブを森で運用していた。往年の名プレーヤーである。FXで爆死する人の動画をひと通り見てから、Mは長期取引で優待をもらう桐谷さん方式でいくことを決め、いくつかの会社のオーナーとなった。株の上下にあわせて私の資産も上下する様子がポートフォリオに記録される。これが麻薬的作用をもたらし、ほとんど毎日株価の上下を気にするようになってしまった。資本主義社会への組み込み完了である。
 そしてMは、株価が上がっていれば自分の価値が上がったかのように傲慢に振舞い、株価が下がっていればこんな経済社会は間違っていると勝手に卑屈になってしまった。金が自分の価値と錯覚し、金で買えない大切なものを忘れ、保有する資産の多寡に関わらず、人間としての器を徐々に着実に縮小させていったのである。

 加えてこの男はケセラセラ、アイタペアペアの精神を曲解しているから、家の中にモノが増えたらモノが増えたと思い、虫が増えたら虫が増えたと思うが、特に何か対策を打つわけではない。その結果、ミニマリストで整った、ていねいな暮らしなど出来ようはずもなく、マキシマリストで歪んだ、雑な暮らしを突き進めているのである。宅配を疎み、ガス点検に怯え、マンションがボヤ騒ぎになった時には最後まで部屋から出なかった。女性はおろか、人間を家に呼び込むことができないQOLにあって、出会いがないなどと悲嘆に暮れている間に、春は終わった。

 このような生活がベースであったが、たまに休日にイベントが発生することがある。5月の後半、八王子の霊媒師の弟子が大阪を訪れるというイベント、6月の後半、友人の結婚式に参加するというイベントが1Qの恋愛絡みのイベントのすべてであった。高層階の窓のないインド屋でカレーを食べながら恋愛観や結婚観について聞かれ、あるいは2人の幸せを間近に見ながら、Mは自身の中に宿る結婚なるものへの憧れを感じた。

 なぜ結婚したいのか。結婚することにメリットを感じているからである。結婚や恋愛のメリットは何か。ざっくりとしたイメージだが、自分自身の人生が豊かになる気がする。この世には、結婚しないと得られない物事が非常に多く、それに伴うデメリットが大きい。たとえばMは授業参観に行く権利を有していないが、行かなければ私は現在の教育について知ることが難しくなる。あるいは様々の手当を受けることができない。まして、人を真剣に愛したり人を守ったり人に尽くしたりといった物事は、おおよそMの今の生活にあっては無縁なまま通り過ぎてしまう。そして、そうした未経験の積み重ねが、段々と、自身を社会的な常識から遠ざけていくような気がするのである。

 人は多様性の時代だと言い、結婚だけが人生の唯一解ではないという。だが、恋愛し、結婚し、その後の人生のステップを歩むことは、特権的な地位を伴う。このまま「あなたへのおすすめ」を見続け、すべてのインプレゾンビを消滅させる人生は想像できるものである。だが、特段の趣味もなく、生活の充実も企図しない私の場合、暗い1Rのモノと虫に溢れた一部屋で「あなたへのおすすめ」を見続け、インプレゾンビを消滅させる以外の人生が想像できないというのも確かである。

 恋愛し結婚するという選択をした者にのみ、子どもの看病のための早退、食事での会話、住宅や車の購入、家族を守る責任など、特権的な地位を伴った多様性が現れる。人はそれを大変なことだと言うが、それについて語る時の頬は紅潮し、眼は慈愛と歓びに満ちている。

 だが、Mが恋愛で求める内容は、上のような経験をしたいというきわめて手段的な愛、上のような経験をしないと社会から離れるという利己的な愛である。これではまず相手に失礼だ。そして、やりたいイメージがありながら、行動が伴っておらず、具体的な恋愛を最近は特に考えていないように思う。恋愛に憧れるというより、恋愛なるものに憧れているというのが今の状態である。だが、夙川か大阪城か吉野かを選んだ者のみが、桜を見ることができる。恋愛なるものに憧れている限り、具体的な恋愛には結びつかない。

 こうしてMが嘆いている間に、桜は散り、紫陽花までも枯れた。以上が2024年度1Qの振り返りである。

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