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「陰」からせめて「朗」を目指したい。

「100日後に陽キャになる陰キャを目指してみては?」
珍しく浮かれた格好をしていたわたしに、先輩は言いました。
目指すのも悪くないかも……、と思いながら、わたしはお酒を傾けました。
昼から。(※じゅり誕祝い)

「人見知りで」とさも被害者のように言うのは、「自分はコミュニケーションを取る努力をしない人間なので、そちらで気を使ってください」と恐ろしく恥ずかしい宣言をしていることと同じだと思った。

星野源「いのちの車窓から」

上記の文章を読んだ当時は「そうは言っても星野源だから乗り越えられたところはあるでしょうよ」などと思っていましたが、ありがとう星野源さん、あなたのおっしゃる通りです。

と、言うのも先日、ふぉろわ~さんに会う機会があったのですが、わたしときたら驚くほど話せず、目を合わせられず、顔上げられずの3連コンボをキメてしまいました。
なぜなら、自信がない。すべての原因はこれに尽きます。
お会いするために、これだけやったらもう悔いはない……という努力をしたと思っていたのに。
あれだけビビッていた陰キャの鬼門「デパコスのタッチアップ」に単身乗り込みましたし(すごくないですか…?)、初めて白髪染めさえ手にしました。
外見だけでも全力で取り繕いたい気持ちが強い。
でも結局、どれだけ自信をお金で買おうとも、外見を嘘で固めようと、それを軽々凌駕する圧倒的自信のなさに、付け焼刃の自信、全部薙ぎ倒されて終わりに。

マジでぜんっぜんだめでした。
心の声が松村ほくとちゃんばりにうるさいタイプなのですが、ずっと
『ああああああすみませんすみませんわたしみたいなのが来て……』
『アッッ!!!ふぉろわーさん眩しッッ』
『アッッッもうこれ最初からリアクションしくったなやばいやばいやばいどうしよどうしよ』
『あっあっすみません気を遣わせてしまった』
『アッアッ』
『くぁwせdrftgyふじこlp』

心の中なのにずっと「あっ」って言っててキショ林製薬。
陰キャ、会話の出だし小林製薬なりがちですよね。

自分の事客観的に見たことないけど、ほんとずっと挙動不審の珍獣だったと思います。そんなわたしにも優しくて、いっぱい話題振ってくれたというのに、わたしときたら。
ふぉろわーさんと別れて、新幹線で酒飲みながらひとりどん底反省会開催しました。情けないよ、おまえは。恥ずかしいよ。おとなのくせに。

人見知りなんです、自信がないんです、話せないんです、をそのままお出しすることってすごい卑屈で恥ずかしいことなのでは。
星野源さんは正しかった。
SixTONESの陰キャ代表といえば松村ほくとちゃんですが、彼の陰キャラが成立しているのは、実際には彼が「陰キャではないから」ではないですか?
正真正銘の陰キャをお出ししても周りは見るに堪えないけれど、作られたキャラクターだからこそ、戯画化されたものとして見ることができるのでは?
好きな人(が演じたキャラ)がかわいそうな目に遭うのにオタク心がギュンギュンなるのはフィクションだから、と同じことなのではなかろうか。

「は?」「何言ってんの?」昔々から、人間と話すたびに言われがちだったので、傷つきたくなくて完全に守りに入って生きてきました。
わたしはどうも、周りの人間となにかしらがずれている。
インターネットの好意的な言葉のほとんどは、社交辞令と学びました。
人間となんてもう会わなくてもいいし、ひとりでいい。そもそも孤独はそんなに嫌いじゃない。交友関係なんて、別に広がらなくていい……そう思っていたのにね。
はじめましての誰かと会うのは本当に新鮮で楽しかったのです。
わたしはずっと、人間と話したかったのだな。
めちゃくちゃ爽やかな風吹いてた。
ひとりでは絶対に入らないお店に入った。
ひとりでも良いけれど、誰かと一緒だと、ひとりではできない体験ができる。
素晴らしい。なんて真新しい世界なのだろう。
人生は、わたしが思うよりも捨てたものじゃない。
ずっと挙動不審でしたけど、ほんとに楽しかったんですよ。

でも、わたしが楽しかったということは、相手の方はきっと「楽しませてくれた」のであって、わたしはそれに対してなにかお返しができたのか……。
会うことを最終的に決めたのはわたしなのにね。
他人を怖がっては「陰キャ」に甘えて、おまえはそれで本当に良いのか?
恥ずかしくないのか?
そのまま生きていくつもりなの?
2度と来ない機会かもしれなかったのに。

もはや、陰キャとか、人見知りとか……言ってる場合じゃねぇ!
わたしの中の陰キャパンダは、その時、柵を乗り越えました。

陰キャとか言ってる場合じゃねえ!

人生は短い。そのうえ、死ぬタイミングはわからない。
今日もたまたま死ななかっただけだし、明日生きていることは絶対ではない。
せっかく会えたのに、話さないとかもったいないんじゃない!?
次いつ会えるかわかんないんですよ!?
もう会えないかもしれないんですよ!?

日に日にその思いが強くなっていたタイミングでの、
「100日後に陽キャになる陰キャを目指してみては?」
というご提案。

わたしが学生の頃はまだ、「陽キャ」「スクールカースト」という言葉はありませんでしたが、そういう人種をわたしは苦手に思っていました。
大人になって、ほんとはわたしはそちら側に憧れていたのだなと気付きます。
物怖じせずに(それはもしかしたら虚勢からくるものかもしれないですが)クラスメイトどころか先生にすらタメ口で接していた声のデカい彼ら。
学校行事を、ダルいなどと言いつつもめちゃくちゃ楽しんでいた彼ら。
おしゃれで、自信があった(ように見えていた)彼らに……。
なりたかったんだ、わたしだって、本当は。

陰キャは自撮りをしないので、たまに自撮りをすると「自分に自信があってすご~い」と陰キャ仲間から嫌味を言われました。
自分を肯定したかったし、ノリノリで自撮りとかしたかったし、お化粧とかして可愛くいたかった。
夏は苦手だけど、一緒に暑さにはしゃいでみたかった。
陰キャには陰キャの呪いがあるのです。
そもそも、陽キャは、陰とか陽とかで人間を区別しない。
陰キャだけが「陰キャ」という言葉に甘えて、壁を作り、傷つかないように縮こまって生きているのです。

陰陽以前に、実年齢と精神年齢の乖離に喘ぎ喘ぎ生きております。
それって結構、奇怪というか不気味なんだろうなと思いつつ、でも今から愉快になっていくのも悪くないと思ってしまいました。
ありのままのわたしを好きになってもらえるなんて、傲慢もいいところ。
少しずつ「陰キャ」に甘えるのを脱してみようと思います。
ゆくゆくはインターネット世界でも、なんか愉快な人、くらいにはなりたいものです。
人生短いからね。
機会があるなら会った方がいいね。
話しとかないと勿体無いですからね。

そういうわけだから、100日後に陽…せめて「朗」キャ、目指します。

無害

とっても嬉しい!コーヒー飲ませていただきます☕