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5/28~5/31

・夜中にカタカタパソコンをいじっていると自分が仕事ができる人間のように感じてくるけれど、仕事ができる人間はこんな時間にパソコンなんて触らないよな、と結論づくまで10秒でした。こんな素早い思考ができるなら日中にもっと頭を働かせて夜は寝なさい。でも人生の味がする25時を過ぎると私は無敵になるので、人生でそう出会うことのないフィーバータイム、もう少しだけ堪能して寝ようと思います

・なんか結局死ぬまでお互いの愛語りながらくだらない話でゲラゲラ笑う未来が見えた、一生かけても愛を伝えきれない気がするけど、お互いがお互いのために生きすぎだけど、それで誰かの首を絞めたくないけど、1人が崩れたらみんな崩れるからみんながみんなを大事にできたらそれでいいね。

・半年に1回くらいくる寝れない夜、今日がそれでぼんやり明るい窓にひさしぶりって呟いたら全部受け入れられた気がして、このまま夜に溶けたくて微かな明るさに吸い込まれたくてどうかどうかと祈るけど微妙な拒絶で結局ここにいるだけ、だけだけ、世界から孤立した感じとも違う、水に弾かれた油みたいな、混ざりそうで混ざらない何かになった気分で朝を迎えそうです

・結局一睡もできずに学校に向かうと世界があまりにも眩しくて普通に具合悪い  無敵な気持ちと世界最弱の気持ちが混ざっている  あまりにも吐き気するから授業飛んでやろうと思ったけど思いとどまりました、みんな受けてるし

・ひとの世界の彩りを知ること、あまりにも呪いだなと思うことがある、自分の中に取り入れたらそれをひとつ残らず取り除くことは不可能であって、好きも嫌いも快も不快も、香りとか目の色とか、ふと同じものを五感で感じてしまった瞬間にその時の記憶に包まれしまって重く優しく苦しい空気に浸ることって自傷だと思う、だって高3の5時間目、窓際の琥珀色の虹彩をずっと忘れられずにいるし  世界で1番綺麗だと思ったことも掬って紅茶にでも溶かして飲んでやりたいと思ったことも全部覚えてるし

・トラウマの意図的な想起って概念的な自傷行為だと思っている、こんなこと言ったら心理学者に怒られてしまいそうだけど 思い出したら苦しいけど それをずっと鮮明に覚えていることが贖罪であると勝手に思い込んでいる節があります なにより免罪符になるような気がしていて、自分の問題から目を逸らすことを許されている気がして、よく概念の自傷をしてしまいますね 人と同じ痛みを感じないと同じ苦痛を感じないとその人の理解にはならなくて、そういう点からも私は根本的に自傷的な性質を持っているような気がする、全くの言い訳でもあり、自身の行為の正当化でもあるけれど

・自分が幸せになる権利があるのか?というのは一生の課題で、幸せを自覚する度にこんなの不幸への伏線回収であるはずだと強制的に思考を捻じ曲げるようにしているけれど、何度も友人の苦しいから目を逸らし自分も苦しいからと見て見ぬふりをした自分に快を覚えることは許されず、ただ他者の苦痛に不安に不快に寄り添うことだけが自分の役目のような気もしてきますね 唯一誰かに許されたときだけ力を抜くことができるけれど、それだとその人にもたれ掛かることしかできずにただの重い肉塊と化してしまうので、それ自体を自分で許せず、結局何もできない人間の形をした何か、に成り下がってしまいますね そんな自分を抱きしめていきたいものですけどね


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