趣味を家族に公言できるって幸せだ

細く長く続く趣味

学生の頃から細く長くずっと曲作りをしている。初めて作詞作曲したのは高校生のころ。鼻歌のメロディにコードをつけていくスタイル。理論がわかってなかったので進行がめちゃくちゃ。誰に聴かせるためではない。それでも自分はたのしかった。その頃QY300というシーケンサーを購入。価格は10万円。当時のぼくに買えるような代物ではなかったはず。父親が買い与えてくれたのだろうか。感謝しかない。

ググって写真を見つけたらいろんなことを思い出した。当時流行っていたミスチルのスコアを購入。Overという曲のドラム、ベース、キーボードのカラオケを作りギターソロを練習した。Overのソロはかっこよかったのだ。文化祭バンドでOverを弾くことになったけどギタリストが2人いて、ぼくはパッキング担当だったからソロが弾けず悔しかった。

作詞作曲も行った。鼻歌メロディ先行で和音つけていた。音楽理論を知らなかったので進行がむちゃくちゃだ。サビが「大きな夢を…」で始まると思うのだけどこれ以上が思い出せない。赤っ恥感あるから思い出さなくてもいいのだけど。

中断と再開

大学に入ってからMTR(マルチトラックレコーダー)を購入して、、、とか書き出すと本題に入れないのでここまでに入る。

社会人になってからもずっと細く長く続けてきた趣味だったが結婚したり子どもが産まれたタイミングで中断していた。忙しかったといえば忙しかったのだけど40歳も過ぎて厨二病感のある趣味を続ける恥ずかしさの方が大きかった。家にギターを置いておくとやっぱり目立つ。乳児たちには危険だ。だから物置の奥の方にしまった。

気持ちの変化もあったかもしれない。妻と子どもたちと出会ってから幸せしかない。不平不満がない。歌詞がまったく浮かんでこない。きっと今までは逃げ場のない感情を歌にしていたのだろう。

再開のきっかけは早起きコミュニティ朝渋のウクレレ部。オリジナル曲を作って音楽配信まで行った。(配信停止したのでもう聴けないが)
やっぱり曲作りは楽しいなと思ったけど家族にちゃんと伝えてなかった。
妻が子育てで頑張っているのに趣味全開の報告するのが忍びなかった。

そのあと朝渋代表のこーじさんに歌ってもらう曲を作った。「朝イチ」。

この曲は今でも音楽配信しているのでぜひ聴いていただけると嬉しい(宣伝)
ただ。この時も家族にちゃんと伝えることができなかった。

家族公認の趣味に昇華

子育てする上で個性のあるヒトになって欲しいと思うようになった。勉強ができて運動ができるのは優秀だけど。それだけじゃ寂しい。自分にしかない何かを見つけて欲しい。

子どもは親の背中をよくみている。父親に個性が無かったら子どもはそれに準じてしまうだろう。つまりぼくの責任だ。ぼくは子どもたちの未来のために個性全開の人間になる義務があるのだ。
というすごーーく自分に都合の良い解釈にたどり着いた。作詞作曲が趣味っていうヒト自体少ないし20年以上続けている人なんてもっとレア。これはぼくの個性なのだ。

コソコソしなくなった。リビングにウクレレを持ち込んで鼻歌で曲作り。
子どものアンパンマンピアノで和音を探す。
スタジオで撮ったドラムやギターの動画を一緒に観る。特に次男はくぎいるように何度も再生し、やがて口ずさめるようになった。いまでは「お父さんスタジオ行ってくるね」と言えるようになった。

家族にもちゃんと言えるようになったら会社の同僚や知人にも言えるようになった。胸のつかえがとれた感じ。すごく気持ちがいい。

子どもたちよ。
別に作詞作曲じゃなくていいから。大好きなものを見つけてください。

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