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世界遺産リスト作成⑭

1日50個の世界遺産をリスト化するメニュー、第⑭弾です。今回はどの国の遺産か分かるでしょうか?

シュパイアの大聖堂
シュパイヒャーシュタットと、チリハウスのあるコントールハウス地区
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国
トリーアのローマ遺跡、聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂
バイロイトの辺境伯オペラハウス
ハンザ都市リューベック
バンベルクの旧市街
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミヒャエル聖堂
フェルクリンゲンの製鉄所
ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト
ブレーメンのマルクト広場にある市庁舎とローラント像
ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)
ベルリンのモダニズム公共住宅
ポツダムとベルリンの宮殿と庭園
マウルブロンの修道院関連建造物群
メッセルの化石採掘地区
ライン渓谷中流上部
ランメルスベルク鉱山とゴスラーの歴史地区、ハルツ山地上部の水利システム
レーゲンスブルク旧市街とシュタットアムホーフ
ロルシュの修道院遺跡
ムスカウ公園/ムジャクフ公園
トカイ地方のワイン産地の歴史的文化的景観
パンノンハルマの千年の歴史を持つベネディクト会修道院と周辺の自然環境
ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り
ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所
ホルトバージ国立公園:プスタ(大平原)
ホローケーの伝統的集落
建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅(ブリュッセル)
ストックレ邸
スピエンヌにある新石器時代の火打ち石の鉱山発掘地(モンス)
トゥルネーのノートル・ダム大聖堂
プランタン=モレトゥスの家屋・工房・博物館とその関連施設
フランドル地方のベギン会の建物
ブリュージュの歴史地区
ブリュッセルのグラン・プラス
ラ・ルヴィエールとル・ルー(エノー)の中央運河の4つの閘門とその周辺環境
ワロン地方の主要な鉱山遺跡
アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑
ヴロツワフの百周年記念ホール
カルヴァリア・ゼブジドフスカ:マニエリスム様式の建築と公園に関連する景観と巡礼公園
クラクフの歴史地区
ザモシチの旧市街
トルンの中世都市
マウォポルスカ南部の木造聖堂群
マルボルクのドイツ騎士修道会の城
ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会
ワルシャワの歴史地区
ブトリントの考古遺跡
ベラトとギロカストラの歴史地区

ドイツから続いて、ハンガリー、ベルギー、ポーランドと今回も中央ヨーロッパ圏ですね。「アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)」の存在感が際立っています。


僕たち人類にとって、「歴史を残す」という行為は必ずしも当たり前の行為ではありませんでした。今から約5000年前にメソポタミアの地で文字が使用されたときでさえ、それは公文書の作成、つまり主として行政手続の手段としての行為に過ぎませんでした。

当時及び後世の人のために、為政者の事績を評価し、その価値を固定する、いわゆる「歴史を残す」こと(歴史記述)は、古代ローマと古代中国という二大帝国において初めて積極的かつ体系的に行われることになるのですが、この「歴史」は、人類が獲得したものの中でもトップクラスに重要なものの一つだと僕は思います。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
はドイツ帝国の宰相ビスマルクが残したあまりに有名なフレーズですが、僕たち人類は果たして歴史からどれだけのことを学んでいるのでしょう?常に問いかけなければいけないと思います。

「鉄血宰相」ビスマルク

また、「アウシュヴィッツ」について言えば、たくさんの関連書籍や文学・文芸作品がありますが、個人的にはV・E・フランクルの『夜と霧』は1000年語り継ぐべき作品だと思います。

珍しく歴史教員の血が騒いでしまいました。スミマセン。
それではまた次回!


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