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【後編】IgA腎症 扁桃摘出日記

扁桃摘出日記の最終回。もうグロい表現はないので安心して読破してください。
(前編、中編のリンクは最下部にあります。)

>入院と驚愕のお知らせ!
突然の吐血で病院に逆戻りした私はストレッチャーに乗せられ、ガラガラと院内を移動していた。PCR検査や肺のレントゲンを取り、入院の手順を済ませて病室にたどり着いたのが夕方4時ごろ。壁紙の花の模様を眺めていると外来とは別の、その日の当番医がやってきた。
医師は突然、手術をした方が良いと告げた。今は出血していないが、いつまた出血するかわからない。昼間の出血量も多く、嗚咽や失神の可能性があるなら止血ではなく全身麻酔をした上で患部の縫合が必要と。さらに、夜間に出血した場合は当番医が出勤し一人で麻酔と縫合をすることになる。今なら準備が整っていて、複数の専門医が連携した手術が受けられる。どうしますか?と。

「えええーーーそんなこと言われてもーーー今判断しろって言われてもーーー。あんな恐怖体験の後で判断なんてできないよーー!」(心の声)

いきなりの打診に困惑するも、他にチョイスもない。。苦悶の末、しょうがない、やります!と答えて同意書に署名。えいや!と書き殴ったものの、年に数例の症状に自分が当てはまると思わなかった驚き、吐血や緊急処置、失神の恐怖、今更ながら扁桃摘出手術を選択したことへの後悔などで精神的にはグラグラしていた。

あっという間に手術の準備は進み、控室で待ちながら置かれた備品を眺めていた。オモチャとニモのDVDがあった。小さな子は手術を受ける前に映画を見れるのか、いいなーなんて思った。私は一人だ。
創部を糸で縫う以外、手順は1回目と大体同じ。時間もないため手術室で麻酔同意書にサインをし、酸素マスク、注射針を刺され、スゥーっと意識消失。。

麻酔から覚めたのは夜7時前だったか。
2回目のせいか、意識がハッキリするのは比較的早かった気がする。声は出せないが、緊急手術に対応してくれた周りの医師に手を使って感謝を伝えた。本当にありがたいと思った。そのまま病室に移動してその日が終わった。喉と耳が痛く、夜は1時間ごとに痛みで起きた。深く暗い場所を一人で這い回っているように感じた。

>Re入院生活のはじまり
翌日は終日絶食でずっと点滴。記憶もあやふや。家人に連絡し、着替えなどを持ってきてもらう。コロナで面会禁止のため、看護師さんが引き取りに行ってくれた。

手術後2日目。手術日は朝からアイスしか食べていないので、2日ぶりに口から食事(昼)。重湯の優しい世界。その後の経過は扁摘入院と同じようだったが、傷口を縫い合わせていたので意外と喉の痛みは引いていた。縫合部の違和感程度。

ネコのエサみたいな魚型のすり身(おいしい)

手術後3日目。3分粥へ移行。無性にハンバーガー食べたいと思った。

手術後4日目。朝は5分粥、完食。昼から全粥に。退院したい一心で完食。この日まで4日間はずっと点滴、抗生剤が投与されていた。

全粥。薄味で辛くない麻婆豆腐など。

手術後5日目。全粥、今日も根性で完食。血液検査の結果、翌日退院となることに。この日で点滴もようやく終了。喉もだんだんと痛みに慣れてきた。ただ昼食が粗食すぎて泣けた。

飽食の現代に揉まれた私にはつらい食事

手術後6日目。朝も完食。ようやく退院。7日間の再入院。最初の入院も合わせると15日間。2回目は急だったせいか部屋替えも頻繁にあり、全体的に不安の多い日々だった。

■まとめ

ということで扁桃摘出日記もこれでおしまい。全身麻酔や扁桃摘出はよくある手術だと思います。ほとんどの民間保険で適応にもならないし。それでも、医師に説明されたことはどんなことでも起こりうると、ちゃんと理解した方が良い思います。もちろん私も説明を受けていましたが、それが自分にやってくるとは思えませんでした。さらに実際に起きた時の(心の)準備などしていませんでした。でも全ての可能性を排除するのは困難です。
自分のコントロールできない出来事に直面した時、人間が感じるのは恐怖や怒り、自責の念です。事実を否定したり目を背けたり、興味がないように偽ることもあります。それらは生きる上で大切な感情です。だからしっかりと見つめる必要があります。でもいつか、過去の自分を正当化しなくても、結果を受け入れられる日が来るように思います。不測の事態が起きたとしても、生活は続いていきます。
だから扁桃摘出する人以外でも、過去の決断に迷いが生じてしまったら、今より悪くなった可能性も考えてほしいです。少なくとも、自分が管理できないことで思い悩むより、気が楽じゃありませんか?

(了)


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