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2/8 今朝の夢

とにかく場所がころころ変わるので覚えづらい。
薬草、スパイスを抽出したガトーショコラを作って売っていたはずだ、外も内もいろんなところで売っていた。
ついさっきまで覚えていたのに、霧が晴れるように、夢はこの場合霧のほうだ、霧散して今の景色しか見えない。なんとか思い出す。
白い大きなワイシャツを着た巨乳の女の子が舞っている、それを僕なのか誰か男が角に座って眺めている、眺めていない彼は彼で何かの役を演じている、座っているという姿を演じている。神社の能楽堂らしいところ、なにかの奉納をしている。ガトーショコラが売れなくて、それはこの神社に全然人が来ないからだ、さっきまではデパートの化粧品売り場の隣でいっぱい売れた。ガタンと揺れて、バランスを崩した、周りの人に恥ずかしいのを気取られないように、それは一瞬思った、それから倒れたりしないように通路の真ん中のポールに肘を絡ませて、バランスを崩した勢いを利用してくるりと2回、回転する。地下鉄が駅に到着した。車内の光源は僕の背面にあって、振り向くとそこは開けていて電車と構内がひと続きになっている、まるで映画のセットのようだ。

他の人の夢を見たことがないから全く比較ができないが、僕の夢はとにかく場面がコロコロ変わる。しかも脈絡なく、脈絡が見つけられないのは僕であって、夢には夢の法則があるらしいことはなんとなく勘づくけれど、どういう法則か。
普段、普段というのは目が覚めているときということだが、普段僕は目に入ってくるものを無意識に、注意するものしないものの序列を組んでいる。スマホの画面に、どんな順番でどんなデザインのアプリが並んでいるか、正確に覚えている人はほとんどいないんじゃないか。今着ている服のボタンの数さえ覚えていない。本棚の本の色の並び、窓から見える木の正確な枝の本数と曲がり方。道ゆく人の数。
そういう、記憶に残らないどころか見ている「いま」でさえ見えていないもの、それら全てが、目を引くものとともに同列にきっかけとなりうる。
つまりストーリーがないのではなく、ストーリーを織り上げる糸が、交差点が、そこにある全てなので、展開がむちゃくちゃに感じられる。夢にとっては渋谷のスクランブル交差点で主人公(つまり自分)の隣にいる助演俳優と、その脇を一瞬だけ通り抜ける通行人Aが、同じだけストーリーの展開に重要な役割を担っている。逆に言えば、誰も重要じゃないし、どれもが平等にそこにいる。
そういうのはストーリーとは言わないなら、夢にはストーリーはない。でも現実の世界はむしろ、ストーリーがない。
僕らは現実でも夢でもなく、ストーリーの中で生きようとする。

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