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2/4 今朝の夢

旧暦の時代には立春が年明けであり、つまり2/4の今日見た夢が初夢ということらしいです。そして

なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな

古事記より古いと言われるこの回文を書いた紙を頭の下に敷いて眠ると、良い初夢を見られるという言い伝えがあるんだよって書家の友達が文字書きのwsのときに教えてくれてから、ここ3年くらい、描くのが面白くて回文を書いて布団の下に敷いて寝ている。今年は何枚か書いているうちに思いついて、回文を神代文字と言われる記号みたいな文字でぐるりと円を描いて書いてみた。イメージ画像のものがそれで、これを頭の下に敷いて寝た今日の夢は、言ってみれば大した夢じゃなかった。僕自身がわかってないだけで何か大事なものが現れていたのかもしれないけれど、ある啓示が訪れたとして、その啓示が聴いた者にはわからない言葉で語られたとしたら、それは啓示であるのかどうか。啓示が啓示を与える者を間違えるなんてことがあるだろうか。
啓示は常に開かれていて、それを無自覚であれ啓示として受け取るものが現れたとき初めて、そこに啓示があったことがわかるのかもしれない。

つまり夢からすれば主従関係で言えば、果たしてどんなすごい夢が観れるのか少しは期待していたのだけど大した夢じゃなかったと思う僕の方が従であり、夢が主である。同時に僕が見るからこそ夢は夢として現れるので、僕もまた主である。
全てはすでにそこにあるし、観られるまではまだない、というのは時間が直線的に進む時間とそうでない時間の、どっちから捉えるかで変わる、ということなのだと思う。すると夢は直線的に進んでいるようで、実のところは圧縮された時間というか、無時間ではないけれど目が覚めている時とは違う時間の流れ方、流れ方というのは少しばかり直線的なイメージに引っ張られすぎるかもしれない、時間の在り方で現れているものだ。

さて、それで今朝の夢はどんな夢だったか。というと、ただ昔からの友人二人とどこかの食堂みたいな四角いテーブルで飲みながらご飯を食べた、一時期店に通ってくれていた常連さんとその店で会って酒を飲みながらビリヤードをした、ここ2年ばかり会えてない友達夫婦と僕ら夫婦で中央通りの飲み屋に向かってアーケードの下を歩いていた、というただ飲みに行く以外何も起こらない夢だった。

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