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世界と繋がる芸術論 16+17

   世界と繋がる芸術論 16
 

第15回の原稿を入稿したあと、届いていた坂口恭平の『cook』という、料理本なのかエッセイかのか写真集なのか…を平安堂で受け取ってパラパラめくってみると、友達にあげるように買ったのに開けてみてしまうのもどうかと思うけど、初日の料理の最後にアンリ・ベルクソンの引用が書いてあって、そこには

生物の役割は創造することであります。他のすべてのものが決定されている世界のなかで、決定されていない地帯が生物を取り巻いております。

歓喜の中には必ず創造が含まれている。
 
これはまさに僕が言いたかったことじゃないか?
人間は働くことよりもまず創造することによって生きていると感じる、そして身体は常に快に向かうようにできている。それがこの連載で見つけた発見だったのだけど、ベルクソン先生も同じことを言っているじゃないか!だから僕の考えは正解だというわけじゃないけれど、同じことを言っている先人がいるということはやっぱり思考する方向に灯台の光が差されたような、ここにも道があったことがわかって嬉しい。
 
創造が芸術になるために必要な達成とはどういうものなのか、そのことを考えなきゃいけないのだけど、身体は常に快に向かう(その結果の状態として生があり死がある、身体は生死を区別しない)ということを言ったら「じゃあ、なんで人は病気で苦しむの?おかしいだろう」と何度か聞かれたので、そのことについて書いてみます。
 
その疑問に対する答えといえるようなものが蜂の姿で一昨日の1月16日(今日は18日)、冬にしては暖かすぎるくらい暖かいこの頃のなかでも小春日和くらい午前中から陽射しが暖かく、一昨日は店を開ける日で、通りに面したところが全面ガラスの店内は外の冷たい風も遮って、本当に春かというくらい暖かかったその窓に一匹の蜂がとまっていた。従来の冬の寒さなら蜂など決して外に出てくることなんてない季節だ。

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