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2/14 今朝の夢

もう外も真っ暗になって街ぶらロケも終わりに差し掛かり、ロケだと思ったのは一緒にいたのが志村けんだったからだ。新しくなった道の駅の食堂で野菜や土産物を勧める従業員のおばちゃん、座敷で煙草を吸うおじさんたちはみんな志村けんに夢中。
一面ガラス窓の壁面(こうして書き残してみると、僕の夢はやたらと開放感のある窓の大きな建物がよく出てくることに気づいた)から真っ暗な外を見ると、南アルプスの稜線の上、大きな黒雲が切れたところから黄色い寝待ち月が、
月はみるみる満月へと膨らんでいき、肉眼でもはっきりわかるくらいの大きさと速度で、左に自転しながら、虎模様の濃い黄色、そして次第に赤みを帯びながら右へ、移動していく。
驚いてみんなに
見て、見て!
と月から目を離さず叫んでみたが、月ばかり見ているからみんなが見たかわからない。回転する赤い満月の光は黒雲の輪郭を縁取る、その境にふれたかと思うと満月は音もなく、ゆっくりとはじけて、星雲のように空に赤いレース模様を描いて広がり、真っ暗だった空が輝いた。

泊まりの部屋は背の高い白人男性の住居で、彼はバイオリンを弾く。
でも隣から別の音楽が、金管楽器の音だ、大きくて練習の邪魔になる。彼は部屋を出て文句を言いにいくのでついていくと、トランペットの男はもう自室のドアの前で、桟に寄りかかって待っている。男はタバコをふかしている。男性は勢いに押されて、笑顔を引きつらせて向かうけれど、その笑顔さえうまくいってない。男は思い切り煙を吐き出したら、それがどえらい量であたりが一気に真っ白になる。
男が何か言って、男性と一緒に部屋の中へと入り、勢いよくドアを閉めたらドアはグラグラと揺れた。よく見たらドアのある壁の上は何にもなくて、壁と壁の間にボロボロの古材を渡しただけで、屋根の裏っかわが丸出しになった舞台セットみたいだ。
階段踊り場の電気配線を繋げるのを手伝おうとして、ゴムを切って中の電線を引っ張り出すと、何本もの針金があっちゃこっちゃに飛び出して、まとめようにもどれとどれを捻って一本にしたらいいものか、新しいチューブにも収まりそうになくて、
これはさっきバッタのお腹からハリガネムシを何匹も取り出す動画を観たからだな
と思いながら、めんどくさくなってそのままにしてアパートを後にした。

明るくなった空、高速道路を走らせる。全体的に白く、青い。風が冷たい印象だけど、実際には暑いとか寒いとかまるで感じてない。不思議だと思ったのは、屋根のないでかいジープに乗っているからだ。
進行方向右手に諏訪湖が見える。
目に入る景色のどこかが、なんだか変だなと思いながらも気持ちよく車を走らせていると、異変に気づく。諏訪湖から流れる川がものすごく太く、厚くなっていて、街にはみ出しているのだ。
優に30cmは浸水している。太ったおばちゃんが、
とんでもないことになったよ!!
と叫んでいる。ジープはタイヤが大きくて車高が高いので僕は余裕なつもりで走らせるが、助手席の優子さんは
やめたほうがいい!別を探そう!
と引き止めた。そのまま走らせるが、内心では僕もこれは引き返せなくなるかもしれない、と焦り始めていた。
大きくカーブすると、右手に丘の斜面が現れ、その斜面に張り付くような形で発電所が建っていた、ほとんど崖と一体化している。発電所の上を見ると、にわかに雲が張り出してきていて、稲光が2度、見えて、これはやばいと思った。

辰野(と思っているが、諏訪もそうだけど実際にそんな風景はない)までくると、背の低い山が続くその谷沿いを走る道の右手、山側の斜面に鳥居が建っていて、奥の森にいくつか、段々に社が建っていた。本殿とおぼしき社は野底山の八王子神社のように壁は板を格子に組んだだけのもので中が覗ける。道を挟んで谷側の参道、参道といっても狭い石の階段の両脇に肩を寄せ合うようにみっちりと土産屋や駄菓子屋、食堂が並んでいる。小腹が空いたのでお参りついでに何か買っていこうとしたら、優子さんがいない!後ろの荷台にも、前輪のカゴにも・・・
いつの間にか自転車に乗っている!車はどこに置いてきたか、青のラパンを思い出そうとしたら、そうだ諏訪湖の道の駐車場で少し仮眠したいというのでそのまま、そこで別れてきたのだった!今から自転車で戻るにも何時間かかるか。携帯で連絡しようとしたが、優子さんは携帯を持っていない。そのまま連絡がなければ自分で帰ってくるかとも思ったが、優子さんは車の運転ができない。
空も暗くなってきて、一気に夕方を超えて夜に差し掛かろうとしていた。中には入らず、鳥居の前で失礼しますと言って手だけ合わせて、
また次はきちんとお参りしますので今日はこれで失礼します

優子さんとどうやって落ち合ったらいいのか、不安にさせてしまっているに違いない!あぁ、困った、困った!なんでこんな状況になったんだ。なんとかしなければ、

とこういう状況になると僕は自分で目を覚ますことができるようになっているので、ここで目を覚まし、あぁ夢で良かった、と心から安心した。
しかし。
僕は、夢のなかの自分の行動こそが現実の行動の規範になっていると思っている、夢のなかで行動できなければ現実でもできない、なぜならどんな突拍子もない展開でも夢のなかではいつも真面目に状況に振り回される、そして夢の行動では現実のように過去や未来との算段がない、だから夢でする行動こそが僕が本来取りうるであろうものだ、と僕は思っている。
つまりこういう夢を見た時こそなんとかしなければ、なのでここで目を覚ますのは卑怯だな、と思う。次のときは目を覚さずに、自分がどう行動するか夢で確認したい。

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