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枝葉

教科書を捨てた。美術室でどさどさとゴミ袋に詰めたそれは重くて、持った途端に穴が開いた。顧問の先生から譲り受けた絵画技法の本は背負うには重く、しかし大事なもので、早めに持って帰りたかった。
描く側じゃないとはいえ、一応美術に関わる進路を選んだので、冬休み中にスケッチブックを1冊使い切るくらいにはデッサンやクロッキーをやろうと思った。描けないに等しい画力だったが、絵を描くのは嫌いではなかった。
嫌いではなかったが、いつしか鉛筆を持たなくなった。楽しさより上手さを上に置いたからだ。
お世辞にも上手いとはいえない絵を描いても意味がないと思い、結局やらなかった。

最後に担任から渡される成績表も見た。自分は世間が思い浮かべる完全な文系で、相変わらず数学は出来なかった。文系だが英語は嫌いなままだった。最後のテストではついに英語も数学と大差ない点数を取った。苦手意識を克服する努力ができないので私は未だにピーマンが食べられない。


人畜無害じゃいられないしそんなのつまらないし、博愛主義を気取って笑顔を張りつける人は苦手だった。言わなくていいことばかり口にする私はやさしいひとたちに許されながら生活をしている。いま思い返すととんでもないやつだった。正直なところ己の所業を覚えておらず、他者から断片的に紡がれるそれらを繋ぎ合わせたら絶句した。

冬至にかぼちゃ入りのおしるこを食べなかったり、絨毯にコーヒー牛乳をぶちまけたり、居間の掃き出し窓にツバメがぶつかったり、ディープインパクトが引退する際の有馬記念で父が三連単を当て臨時のお小遣いを得たり、3cmの氷になった湿った雪を日々砕いたり、特段変わったことはなかった。

冬が明けて春が来る。溶けかけの雪が泥と混ざって道路を汚す。
その景色が嫌いだった。今はもう何とも思わない。出会いも別れもないからだ。
3月が始まった。もうすぐ4月になる。

17歳の年度末の記憶だった。

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