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現代文における長文読解の仕方

長文読解に困っている学生生徒児童諸君に向ける記事。
意味わからん!どうすればいいの?と思っている誰かに届けば、さらに役に立てばこれ幸いである。

端的にいうと、週刊少年ジャンプを読むとだいたいのことがわかる。私の国語力の基礎はおおよそここで身に付いた。
ひとつの作品を追うのではなく、掲載されている作品の全てに目を通す。物語の軸と漢字はここで覚えられる。
以下、その他を加えて詳らかにできることを述べていく。

①前置き

この記事を書いた私は、地方国立大の模試で現代文A判定だった。だいたいこれくらいのレベル感である。
そんな私がどういう風に取り組んでいたのか、といった内容をつらつら記す。
現代文テスト0点の人間がこの記事を書いていたとしたら、説得力もなければこの記事の意義がとんでもなく薄まる気がしたので述べておいた。

中高ともに国語の授業で渡される教科書、そして便覧。
あれは非常に有意義な時間と価値をもたらすものである。ひと通り目を通し、気になる文章もしくは作家がいたら控え、著書を読むといい。
これは土台の話。読んでおいたら楽というか、単語の意味や文章の流れや読み方が身につく。

国語ないし現代文の授業では、ひと文ひと文の意味や長文読解の仕方、作者の意図の汲み取りについての解説を教師から聞いていたことだろう。
授業内容をそのまま覚えられたらいいが、現代文は暗記教科ではない。目の前の問題文から答えを抜き出すものがほとんどだ。
さて、自学の際にどうやって勉強するものなのかを考えてみた。

私は、現代文のテストについてはなんら苦ではなかった。これは日常的に読書をしていたからである。
読書をしては寝、読書をしては寝、を移動時間ないし休み時間、もしくは授業中にやっていた。

授業でやったところがテストで出る。内容を知っているので点数も取れる。なんの文句もなかった。
そのため「作者の意図なんて汲み取る必要がない!」という長文読解、特に小説に対するそうした反対意見があることに驚いた。

本を読まない層がいる、読んでも読み方が私と違う、とそこで気付いた。

②取り組み方(作者の意図について)

作者がどういう気持ちで書いたか、というよりは、このひと作品において、大段落と小段落がある。そしてここには文脈と行間がある。
「どのように書かれているか」を汲むなり読むなりする。
それが作者の意図というか、テストの答えなんじゃないかと思っていた。
作者本人が意図として、きちんと示している場合もあるだろう。それでも上記の読み方である程度は解ける。
模試では知らない作品が出題されるが、同じ考え方で取り組むことができる。

「意味わからん」勢は、おそらく、存在する文脈を追わず、かつ行間を読んでいない。
文章を読まない。読まないから、読めない。
読まないなら読めない。

精神の産物、著作の価値をさしあたり評価するのに、必ずしもその書き手が「何について」「何を」考えたかを知る必要はなく(そうしたら全作品を通読せねばなるまい)、まずは「どのように」考えたかを知れば、じゅうぶんだ。
ショーペンハウアー・著/鈴木芳子・訳 「読書について」

どうすればいいか?
ショーペンハウアーはどうすべきかを端的に記している。

③漢字の覚え方

国語に欠かせないのは漢字である。
先述の通り、週刊少年ジャンプを読むと漢字がわかるようになる。
ジャンプでなくてもいい。ただ、月刊誌より週刊だとより良い。

なぜかというと、まずおもしろいから読み続けられる。
そして台詞には漢字が多く使われ、またそれにはルビが振られている。簡単に漢字を読めるようになる。
ここでポイントなのは、ひとつの作品を追うのではなく、掲載されている全作品を毎週読み続けることが重要だ。
台詞回しやテンポなどは同じ作品もしくは作者だとどうしても偏りが出る(それは作家性とも言える)。
とにかく情報量が多い。しかし、それこそが要点だ。わからない漢字はとにかく辞書を引く。今なら検索し放題なので、読み方のほかに意味まで入ってくるだろう。
漢字を覚えるにはうってつけの教材である。

私は週刊少年ジャンプのおかげで中学2年で漢検2級を取ることができ、そこからさらにぐんぐん読み書きのレベルが上がった。

「へん」と「つくり」、それの組み合わせが漢字になる。
一部例外もあるが、規則性さえ覚えることができれば漢字の習得は難しくない。

④テストへの向き合い方

数学も国語も、テストへの向き合い方は同じである。

数学は知識ありきの問題で、現代文は問題内に答えがある。
数をこなせば解き方や文体が見えてくる。答えのあたりをつけられるようになる。ここでいう「数」は、読んだ冊数だったり、解いた参考書だったり、時間だったり。

文章は早く読めるに越したことはない。空いた時間をほかに費やせるからだ。テストでも同じことが言えよう。

ちなみに、私はまったく数学ができない。
いわゆる読解力があれば、答えを導き出すための問題の意図を読み取ることができる。私も問題文だけは読めた。
ただ、解き方がずっとわからなかった。
例えば中学数学での図形の証明。15点配点の問題があるとしよう。何を求めればいいのかはわかる。
しかし、どう辿り着けばいいのかがわからない。知識がないからだ。
とりあえずわからないなりに解答用紙の半分以上を文字で埋めた。正直、これは10点はもらえると思っていた。部分点の1点しかもらえなかった。

高校。数Aで大問1しかほぼ解けず、27点というギリギリながらも間違いのない赤点を取ったことがあった。

堆積がものをいう。私も読書に充てていた時間を数式にも分けていたら、乗り越えられていたかもしれない。
こういうことだろう。違うかもしれない。

数学は公式を覚えることができなかった。計算云々より公式という知識を頭に叩き込むことができなかった。
本や文章はテンポよく読めた。いずれもこれは訓練だ。


だいたい、文章はこのテンポで読んでいる。
Two Door Cinema Clubは心地よく乾いた、やわらかくてダンサブルなインディーポップ。

問題から読むでも、全体を読んでから問題に取り組むでも、私はどちらでもいいと思う。
読めるようになれば解けるようになる。現代文には数学のように明らかな公式はないので。


⑤余談 ショーペンハウアーの「読書について」

「読書について」は最近読んだ本なので引用してみたが、どこをどう抜き出すかを悩んだ。
まず、この本は自分よりも評価されているヘーゲルのことが憎くて憎くて仕方ない、ということが前提としてある。
価値あるものを書き、またそれを選べる者がどれだけいるのか!世の中は愚かなものに溢れている!なぜそれがわからない!とめちゃくちゃひねくれている。
文脈を歪めずに引用できる節はここか、と思って出した。

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