何も考えずに生きるのは無理やと思うねん(1995)

どうも、濱田です。
前回のnoteでは、自己紹介っぽいことを書きました。

普段、フリーライターとして仕事をしていますから、頭の中やメモ帳などで原稿の構成や内容をゴリゴリに整理してまとめます(当然や)。
そうなると、「この言葉は良くないな」「これは伝わりにくい」「Aの方が良いと感じるけれど、万人ウケするのはBやろ」などと”自分の思い”とは別に頭を動かさなければなりません。
結果として、結構ストレスを感じてしまうことがあります。そこで、このnoteを始めてみようと思ったわけです。
実は、お仕事に応募するためのポートフォリオ的な意味を持たせようとも思いましたが、それは諦めました。
それは、また別で書きます。noteのネタが一本増えるもんね。

で、今回は、「考えない」ことについてのお話です。僕は、考えることが苦手。考えるにしてもめちゃくちゃ時間が必要です。「その場で」なんて、まず無理。その場で答えを出しても、すぐに「やっぱりこうかなって思うんです」って意見を後で伝え直さんとあかん。

考えないって選択肢がない

フランスの哲学者であるパスカルさんは、「人間は、ひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」という一節を書きました。それは、「人間は考える葦である」という言葉で、現在に至るまで多くの人の耳や心に残っています。
色々とネットで見ていると、この言葉の意味は「人間というものは弱い面もたくさん持っているが、”考える”という働きがあるから偉大である」ということだと書いてありました。
「なるほどな、そやな。」と思う反面、「ちょっとしんどいな」と思うんですよね。ぶっちゃけ、こうやって書いていることも頭の中で”考えている”わけやから、「こいつ、何をいうとるんや」と思われるかもしれません。でもね、なんかね、ずっと考えてたらしんどない?って思うんです。

生きている限り、考える。

でもね、私たちは生きている限り考えます。朝起きたら、「うわー、朝や」ってなるし、会議とかで意見を求められたら「うーん」って考える(フリすることもある)わけです。他にも、ご飯のおかずは何にするか、今度のボーナス(僕はないけれど)は何に使うか、年末年始の旅行はどうするか?など。ずっと、何かしら考えてます。考えへん日ってないと思うんですよ。
休みの日ですら、「今日何しようかな」って考えて、最終的には「何もしない日にしよう!」って考えてるんやから。

一度、「何も考えない日を作ろう」と考えたことがあります。もう、この時点で何を言ってるんかわからんやろけど、僕は真剣です。
でも、そう考えているうちに「いや、今の時点で考えてるやんか」ってなって、訳がわからなくなってやめました。

結局、何が言いたいのか

仕事とかしてるとね、「お前は何を考えとるねん」って言われたことありませんか?他にも、「考える仕事が嫌なら、工場で働けよ」とか。
「いや、工場で働く人もめっちゃ考えてるやろうよ、おかしいやん」と、その当時の友達と喧嘩になったことは今では良い思い出です。

世の中には、考えることが苦手な人がたくさんいると思います。すぐに答えが出せなくて、それが申し訳なくなってしんどくなって、その場にいられなくなるくらい辛い思いをする人もいるんとちゃうかな。

逆にね、めちゃくちゃ考えるの好きやし得意やで!っていう人もいると思います。それ、ほんまにすごいし素晴らしいし、尊敬する。
ただ、そういう「得意」とする人たちについては、「なんでこいつら考えんの苦手なん?遅いのん?」って思わずに、ちょっとでもいいから暖かく接してあげてほしいし、手を差し伸べてあげてほしい。別に、手取り足取りすることはないですから。
で、苦手な人たちは得意な人たちを敵対視するんやなくて、ちょっとでも真似できるところを取り込んで、パクって、自己流にアレンジして、武器にしましょう。ポイントは、「自己流にアレンジ」やで。

ここまで書いてみて

さて、ここまで何も考えずに頭の中にあるものをそのまま書き出してみました。目も当てられませんね。酷すぎる。
テーマを一つだけ決めて、それについて考えていることをバンバン書いていくっていうスタイルなんやけど、びっくりするほどめちゃくちゃでした。

ということは、僕の普段の頭の中はこれだけぐちゃぐちゃってこと。
「うわー…考えなくなかった…」って思うけど、これはこれでしゃあないです。今後は、頭の中を整理するスキルを身につけたいなと思います。

ただ、このnoteはストレス解消の場でもあるし、頭の中にある毒素(?)を出す場所にしたい。まぁ、サウナみたいなもんです。
noteに書いて(サウナ)、投稿をクリックして(水風呂)、寝る(整う)みたいな感じかな。
うん、そやね。noteはPC上でできるサウナ活動(サ活)ということにしよう。

ほな、また。

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