人との衝突について。

僕は他人と衝突することが多い人間だと思う。

衝突というのは、駅とかで歩いていると俺が正義!前を見ている俺が正義!と言わんばかりに魚雷のごとく突っ込んでくるやつらとのアレなことではない。最近はまっているポケGOだってモンスターボールplusを手に入れたので歩きスマホは大分封印された、はずだからである。話が逸れたな。

ここで言う衝突というのは、人と意見が合わないことだ。悲しいくらい合わないことだ。話してるうちにこいつがこっちの主張を理解することは100万光年かかってもないな、と勘づいて姉妹、悲しくなるあれだ。ここで光年は距離だとか突っ込みは求めていない。いわタイプのジムでもいるといい。

こういうことを考え出すと眠れなくなる。このまま一生誰とも分かり合えずに生きていくのか、とか、このままの生き方で正しいのか、とか、自分の存在が周りに悪影響しか及ぼしていないのではないか、とか。大抵この考えは宇宙は広いんだし分かり合える生命体も存在するに違いない、という結論にたどり着く。光になって宇宙空間に照射される想像をしてそのまま寝る。結論になっていない。

最近辛かったことといえば、自分達で作ったグループから離脱することになった事件があったこと、だろうか。

大雑把に説明すると、そのグループは人数も少なく、やることが多かった。当然一人あたりの仕事も増える。リーダーに役割分担した方がいいと僕は意見をする。雑にあしらわれる。これを繰り返して、参加を告知したのイベントを1つすっ飛ばした。リーダーに僕の意見を言うと、後輩の責任だと言うようなことを言う。決して謝らない。正直に言うと、僕は相手に謝って欲しかった。謝ってもらって、次頑張ろうな、そんな感じでよかった。大変失礼な話になるが、イベントをすっ飛ばして外部の色々な人に迷惑をかけようが僕はなんとも思わない。けれども僕はこのことについて、ちゃんと話し合うべきだと思った。決してそいつと仲が悪いわけではなかった。と思う。悪いやつでもなかった。むしろ人間的には向こうの方がよっぽどしっかりしている。たぶん、自分の主張を理解してくれる、それくらいの関係ではあると思ったのだと思う。その時の自分は。

まあこんな文章になってることから察して頂きたいが、話し合いはうまくいかなかった。話は訳分からない方向に拡散するし、僕の「相手に謝って欲しい」というエゴと、向こうの「自分は間違っていない」という主張は悲しいくらいぶつかった。そもそも会話が終わらねぇ。長文のLINEが交互に並び、僕は読む気力を失った。これならアニメイトに並んでるよくわからん転生物のラノベを片っ端から読んだ方がまだ面白い文章に会えると思った。意味のある文字というのは、決して価値がある訳では無いのだ。

平行線というものは本当に、決して交わらずに延々と伸びていくものだと思った。僕らはレールの片方を歩くようにしてひたすら殴りあっていたのだ。

めんどくさくなったので僕はそのグループから抜けた。僕の最大の悪い癖であることは重々承知している。が、やめられないとまらない、のである。カルビーかっぱえびせんである。これはもう生まれ持った性だ。でもその方が精神的に優しいことは鬱病生活から学んだことの1つである。

僕が抜けてもなんとでもなるだろう、という気持ちと、抜けることでなんか変化があるといいなという気持ちを半々持っていた。それだけだ。その後どうなっているのかは詳しくは知らない。

どうしてこう上手くいかないのだろう。だって、世の中の人達はみんな上手くやっているではないか。名古屋の交通ルールのように衝突することなく、世界は見かけ上、上手く回っているではないか。なぜ僕だけが上手くいかないのか。

僕は必死に考えた。

それで最近、ひとつの結論を得た。どうか笑わないで頂きたい。

それは、自分が正直過ぎるということである。

笑わないで頂きたい。こっちは真面目に悩んでいるのだ。

正直、というのは、決して役に立つことではない。というか、こんなものはない方がいい。と思う。大量の就活生が潤滑油となって上手く回っている世界をぶっ壊しかねないものだと思う。もっと僕は嘘をつくべきなのだ。きっと。

僕は子供の頃、よく嘘をついていたらしい。そして、両親にボコボコにされるのがテンプレであった。文字通りボコボコ、である。殴る蹴るはともかく、竹刀やらバットで殴られるのはさすがに身の危険を感じたし、頭が切れたりガラスが刺さって血だらけになったりしたときはピンポンの僕の血は鉄の味がする!のシーンを思い出したものだ。まあそこら辺はどうでもいいことだが、そんなこともあり僕はあまり嘘をつかない人間に育った。

まあどーでもいい嘘はつく。学校を休みたい時は仮病を使うし、バイト先で嫌いな客が来たら売り切れだと言って帰ってもらったりする。これらはみんなどーでもいい嘘である。

どーでも良くないというのは、人との関係が絡んでくるやつのことだ。要するに、あいつの何が気に入らない、とか、あいつとは上手くいかない、とかそういうやつである。ぼくは、このことに対する嘘がつけない。悲しいくらいつけない。嘘をつけなくて悲しくなるのは想像しづらいかもしれない。しかし本当のことなのである。僕は、嘘がつけない。

なんて清廉潔白な正義の味方のようなことを言ったが、決してこれはいい事ではない。要するに思ったことを直接言ってしまうのだから。気に入らない奴には気に入らないと言うし、こいつとはうまくやっていけないな、と思ったらそう言う。彼女にもデブだと言うし、バイト先の使えない同僚にだって使えないと言う。文字に起こすとこれでは性格破綻者と社会不適合者のベストマッチである。世界の破壊者と言ってもいい。はっきり言って何もいいことがない。自分自身にも、相手にも。

これ、どうすりゃいいんだろうな、というのが目下の悩みである。

おそらく、僕は心の奥底で、「自分を完全に理解してくれる人」を求めている。もちろんそんなものは存在しない。自分のクローンを作ったところで間違いなく上手くは行かないと思う。むしろ目の前に自分がいたら間違いなく殺し合いに発展する。こんな人間は生かしておいてはいけない。という訳で、この問題はたぶん解決しない。大変遺憾である。きっと死ぬまで悩み続ける問題なのだろうなと思う。悲しいことだが、人と上手くやっていくことは難しいのだ。

僕は、こういう人間なのだから。

この取り留めのない話をなんとかまとめると、家から出るということは、大変難易度の高いことでだなぁと、思った。引きこもりたいものだ。

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