お題企画「#大人になったものだ」

noteのお題企画らしい。「#大人になったものだ」と思った瞬間を書こうと言うものである。

それならこの世界コーヒーの香りとともに色気がほとばしるダンディなおじさま選手権に出場する可能性が無きにしもあらずなわけでもない僕が書かざるを得ないと思い立ち、書かなくてはいけない履歴書や自己PR文やらを放ったらかしてパソコンのキーボードを叩いているわけである。

…と書き出してみたものの、大人になるというのがどういうことか、考えてみたことがほぼほぼない。たぶん今までの人生で2回くらいしかない。それはまだお前クソガキなのでは?という意見が石や生卵や火炎瓶と一緒に投げつけられそうであるが少し待っていただきたい。ポケモンだって2回進化すれば最終形態である。メガシンカを残しているとしても僕は既に最終形態と言えるのではないか?と考えられる。今から頑張って考えていたことを思い出すので、少しの間、その握りしめた石や生卵や火炎瓶を床に置いて頂こう。

さて、まず大人とはなんだろうか。これはだいたい僕の中でイメージが固まっている。

「自分で生き方を決められる人」のことである。

そう考えると、たねポケモンの如きクソガキだった僕がある程度種族値の整った進化ポケモンになった瞬間がわかってくる。
確かそこらへんの期間でも、「大人になるってどういうこと?」と僕は尋ねたのだ。たぶん。ていうか尋ねていてくれないと今回の内容にそぐわない。note公式にハッシュタグを外されてしまう。書きながらタイトルと内容が一致してくれることを今必死で祈っている。

それは我が呪われし人生のさらに呪われし暗黒期間、浪人期間中のことであり、話した相手はその時付き合っていた女性である。
浪人期間という訳だからこの不真面目精神の塊のような存在である僕も大学合格を目指してキットカットを頬張る日々を送っていたが、我が家系には代々金が無い運命が付きまとう。予備校などという金食い施設に入ることも許されず、実家のかび臭い6畳マイルームに僕は幽閉されていた。言わば宅浪である。
僕の会話能力は天井知らずならぬ床知らずレベルで下がり続け、ついには荷物を届けに来てくれたクロネコヤマトのお兄さんとも「あっ…あっ…」としか話せないようになってしまっていた。
これではいけないと考えた僕は言語を学ぶために映画を見た。ゲームをした。結果偏差値が下がった。
これではいけないと考えた僕はストレス解消のために犬をひたすら散歩に連れ回した。結果犬が骨折し、受験勉強のストレスで犬を虐待するようになってしまったと嘆かれた。これぞ負のスパイラルである。

まあここら辺の鬱屈しつつも愉快な話はそのうちするとして、親や大量にいた兄弟達と中々に仲が悪かった僕は彼女の職場によく遊びに行っていた。
この職場も思い返せばやべー奴らの見本市みたいな場所だったがまあその話もまた今度にしよう。

そこで、僕は彼女に「大人になるってどんなこと?」みたいなメルヘンチックな質問を投げかけたのである。確か。

僕の高校は偏差値40とかの底辺高校であり、卒業すれば大体は就職してお金を稼ぐようになる。一部の人達はレッツモラトリアム延長!と叫んで大学へ行く。どれも素晴らしい生き方である。

それにも関わらず僕の現状は自宅浪人という、言ってしまえば宙に浮いたクソニートである。人生の空白期間でおる。無色ならぬ無職である。日々先行きが見えないことに酷く不安を感じた。というか自分のステータスというか、状態がよく分からなかった。HPが今いくつ残っているのか、とか、どっちを向いているのか、とか、毒状態になっているのではないか、だとか。その漠然とした不安がたまり醤油の如く溜まりに溜まって出たものがさっきの質問だったのだろう。

彼女(付き合い出したのが夏だったのでナツとする)の答えはシンプルなもので、「童貞を捨てたら」だった。下ネタは求めていないので僕はバスケットボールをナツに投げつけた。犬が骨折したので僕は時々ストレス発散の運動として、ナツの職場でバスケットボールをしていた。迷惑なやつである。

「じゃあ、自分で生き方を決めれるようになる感じじゃない?」と、先程とは打って変わって真面目なことをナツは言った。ていうか最低条件だよね、とも言った。中々に厳しい条件である。ニートの身としては胸どころか全身が痛むほどである。ナツがバスケットボールに飽きてボールを放り返した。


そのころの僕の父との仲は逆ボジョレーヌーボーと言ってもいいほど最悪の評価を更新し続け、近年稀に見る不仲、だとか50年に1度の不仲、だとか過去最低の不仲、だとか、どうとでも言えるほど仲が悪かった。顔を合わせれば喧嘩になり怒鳴られ、挙句の果てには鉄拳制裁である。バットやら竹刀やらが飛んでくる時もあった。
無駄に尖って攻撃的なこの文章を書く人間のイメージとしてはそぐわないが、僕はいたって平和主義者である。暴力なんてまず振るわない。親がキレ散らかして暴れている時はさめざめと泣いて6畳の部屋に閉じこもっていたし、飯抜きにされた時は隠し持っていた乾パンとキットカットで飢えをしのいだ。こうして文字に書くと酷い日々だなおい。

まあそんなサバイバル生活を送っていることを知っていたナツは色々と察したのか、大人なんて無理になるものじゃないし、と言って話を打ち切った。優しいなぁと思わせておいて、大人になるより早く君は大学生になりなよ、と僕を一刀両断した。僕は酷く傷つき、犬の代わりに連れてきたバスケットボールを抱きしめ、泣きながら家に帰った。

それから数日の間、ナツの言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。「自分で生きかたを決められる人」大人だと言うの、なら僕なんて間違いなく子供である。子供を通り越して幼児である。

僕は今まで親の期待するとおりに生きてきただけだ。
父が文系には行くなと騒いだので、僕のなりたい仕事は翻訳家から理系の適当な職業、になった。
父が野球以外のスポーツを小馬鹿にしていたので、野球部に入った。
もちろんそこに自分の意思がなかった訳では無い。数学の点は毎回1桁だったが化学やら物理といった勉強は楽しいし、野球は今でも一番好きなスポーツである。見るのは。
ただ、それ以外を選びづらかったのは確かである。きっと長男だったことも関連しているのだろう。後々、妹や弟が何もそれを気にせず文系に進んだり、別のスポーツやら習い事を始めた事に僕は軽く衝撃を受けた。

そっちの道を選んでよかったのか、という驚きや後悔と、そっちの道を選べなかった自分へのコンプレックスもどきが僕の今の考えを固めてしまっているような気がした。

自分の考えで進んでいける分、自分なんかより妹や弟達の方がよっぽど大人であるように感じた。浪人期間は学校も仕事も無いのに酷く息苦しかった。

…ということをある日父に話した。何だかこう書くとひどく論理的なことを格好よく話したようであるが、要するに「お前僕だけにずいぶん厳しくね?もっと自由にしてやれよ」という内容である。

思い返すと、僕が前回話した思っていることを垂れ流すがごとくべらべらと話すようになったのはこの頃からである。

案の定父は激怒して、ゴミ箱やら食器が飛んできた。かわす。長年の生活により反射神経はよく鍛えられているのだ。俺が悪いってのか!!!という意味に近い日本語を投げつけられ、泣きそうになりながら説明するが、まあわかっては貰えない。パンチやら蹴りが飛んでくるが、そこは殴られ歴が長い僕のこと、 結構痛いくらいで済むものだ。

心の中の2chには「【急募】ここからどうするべきか【助けて】」みたいなスレが立った。このまま大人しくしてればそのうち終わるよ、とアトバイスをよこす心の中の天使と、そのままじゃ永遠に大人になれないぞ☆、と唆す心の中の天使がレスバトルををしていた。僕の清らかな心の中に悪魔はいないのだ。2人の天使がレスバトルを繰り広げる中でナツの「自分で生き方を決める」と「無理して大人になるもんじゃない」、という言葉がさらにスレを荒らしまわった。

もう訳が分からなくなって僕は父をぶん殴った。

暴力を父に振るうのは初めてであり、これ以降も無かったことを考えると僕は中々の平和主義者である。きっとこれはガンジーでも助走つけて殴るレベルの問題なのだろうそうだそうだ仕方ないこれは非常事態なのだと自分を納得させるまもなくぼこぼこに殴られた。物も沢山飛んできた。やや命の危険を感じたが、なんだか引くわけにいかない気がした。大人しくしてろ派の天使はどうやら論破されたらしく、僕は必死に父に抵抗を続けた。

そのあとはもう、しっちゃかめっちゃかである。喧嘩というものは龍が如くのようにかっこよく敵は吹っ飛ばないし、スマブラのように枠から出たら終わりとかでもない。相手の服やら腕を掴んでひたすら殴り合うものである。痛かった。僕と父は半日近く殴り合いの喧嘩を続けた。僕は一応こうこうこういう理由で父に意見しているのだが、と叫びながらものを投げたりぶん殴ったりした。父は日本語に似た何かを叫びながらぶん殴ってきた。

昼頃に始まった喧嘩は、父の「勝手にしろ」でようやく終わった。真夜中になっていた。窓ガラスは3枚割れていたし、あらゆる家具がひっくり返っていた。家庭崩壊どころの騒ぎではない。女神転生で毎度毎度崩壊する東京以外の世界の様な有様である。


生まれて初めて言いたいことを全部言ったので僕はひどく清々しい気分だった。意外にも父もなんとなく僕が言いたいことを分かってくれたようだった。まあ半日殴り合いをして分かって貰えないならそれはもう言葉が通じてないのだろう。

そんな訳で勝手にさせてもらうことにした。

自分は大人になったぞ、と唐突に思ったのはたぶんこの時である。

いや、特に何か劇的に変わった訳では無いのだが、この先の人生は自分で選んで決められるように思えた。


僕は大人になった自分を見るべく洗面所に向かった。
顔はあちこち変な色になっており、唇や口の中やらが切れて血だらけだった。
ひでえ顔だなぁ、と思った。

こんなことがあったんだ、ということを後日ナツに話した。暴力反対!と一蹴された挙句、大人より大学生になって欲しい、と再度言われ、僕の大人力は著しく下がった。ならばと思い頑張って今度は偏差値を上げたが、センター試験が終わった頃に振られた。別れ話をされた後、雪玉を僕の顔面にぶつけて笑いながら去っていった。暴力反対じゃなかったのか。

話が長くなったが、そんな僕も今ではすっかりコーヒーの香りとともに色気がほとばしるダンディなおじさまだ。時が経つのは早い。

今は大学院という閉鎖病棟に幽閉されている。就活という日本のダメなところを学ぶゲームも最近始めた。先行きの見えない不安はまだまだ山のようにあるが、胸の中はまあ何とかなるだろう、という根拠の無い気持ちでいっぱいである。


きっとこの先も、僕は生き方を自分で決めていける。


なぜなら僕は「大人」なのだから。

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