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旦那の臭い靴を履いてみたら、、、

今朝は二度寝し、ゆっくりと目覚めた。
子ども達の世話は旦那さんがしてくれていた。
旦那さんは車庫を掃除し、洗車もし一階の床掃除までしてくれていた。
世間から見たら素晴らしい旦那さんだ。

しかし、私は気に食わなかったことが一つあり、素晴らしい旦那さんに向かって言わなくていい一言を言い放った。
「1階は先週拭いてくれたから最近出来てない2階を拭いてほしかったな。」
今思えばホンマに要らん一言。
朝寝坊してきて、子ども達を見てもらい、尚且つ掃除までしてもらってその言い草。
旦那さん側からしたらなんやそれ💢に決まっている。
案の定「そんなん知らん。」と言われ、その一言にまた要らん一言を私は懲りずに吹っ掛けた。
「先週、自分してたのに同じ所ばっかしてどないすんの?」と。
これにすぐさま反応を示した旦那さん。
「そんな言い方せんでも。普段出来ん分、出来たらと思って、」と話してる最中に被せにかかった私。
「もういいわ、人を自分の思い通り動かすより自分がやった方が早い。
この話、終わり。」
と、朝で夫婦の会話は強制終了。

その後、旦那さんは子ども達を連れて公園に。
私は身支度をし、その後2階の床掃除をした。
その最中にVoicyであるラジオを聴いた。
荒木博行さんのラジオだ。
荒木さんがブレイディみかこさんの『他者の靴を履く』を荒木さん視点で説明し、本を紹介していると言う番組だ。

ここで出てくる『他者の靴を履く』と言う本の内容として強く印象に残ったのがシンパシーとエンパシーの違いについてや、アナーキストとエンパシーは密接な因果関係があるのではと言う所だ。
詳しく知りたい方は一度聞いてもらいたいのだが、簡単に説明するとシンパシーは可哀想だとかその対象に対し共感力を発動してしまい引きずられてしまうような感情面のことだそうだ。
HSP気質である私にはよくわかる感覚だ。
一方、エンパシーは共感力を感情に左右され発動されるのではなく、能力として共感力を使うと言うことだそうだ。
例えば可哀想な人物が居た場合、その可哀想と言う対象となる人物は可哀想だと言う感情(こちらの思い込み)を根底に持ち関わるの、感情により発動される共感力がシンパシー。
一方、その対象となる人物の背景を想像し、可哀想であるのではないかと仮説を立てると言う能力を使い共感力を発揮するのがエンパシー。
これは同じようで大きく異なる。
これらの事を本の著書であるブレイディみかこさんは本の題名にもあるように『他者の靴を履く』と表現されている。
共感力を感情から勝手に発動するシンパシーとして活用するのではなく、能力を使いエンパシーとして自らの意思で活用すると例えば嫌いな人物に対しても広い視野が持てるのではないかと言う内容だ。
そういった内容を自分の靴(自分の思い込みや常識や当たり前と言う感覚)を一旦脱ぎ、他者の靴(対象者の生きてきた背景や対象者の価値観や思い込みを共感力を能力として使い想像し、仮説を立てる)を履いてみたら相手のことを考えられると言うこと。
それらを靴を履く、脱ぐと言う例えを使い書かれている。

説明は長くなったが、私はこれを聴いて正に今それやらな!と思い立ちやってみた。
私の場合で言えば、先週1階の床拭いたら今週は違う所床拭くのが当たり前やろがと言われんでもやれるやろと言うまぁ嫌なクソ靴を履いております。笑
しかし、そのクソ靴を一旦脱ぎ横に置き、旦那さんの臭い靴を履いてみた。
ここからはあくまで私の共感力と言う能力を使い想像し、こう言う感情だったのではと言う仮説になりますので旦那さんがそう思っていたかは旦那さんに確かめなければわかりませんが、私の仮説を書いていきます。

旦那さんはここ最近、ずっと仕事が忙しく子ども達にはおやすみ前に少し会えるかなぐらいで育児も家事も手伝えず、夫婦で話すら出来ない1週間だった。
だから、せめておる日何か手伝いたい。
だから、仕事で疲れた身体を早目に起こし、子ども達のお世話に床掃除をしたのかなと。
私がいつも掃除機までで床までは出来へんわ〜😩と嘆いていたからかもしれない。
1週間お疲れさんって意味で私を起こさず自分が出来る範囲のことをやったのかもしれない。

と、ここまで想像したら私にある変化が訪れた。
もし長い長いこの文章を読んでくださった皆さんは何を感じたでしょうか?
正解はありませんが、感じた感情を大事にして自分を知るヒントにしてみてください。
私の今日の学びは以上です。笑


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