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Tomoのブログ.生と死について思うこと②

### **昔、クリスチャンになってから、ひとりで考えたことがある。クリスチャンは、良い知らせを、もっと苦しんでいるひとや悩んでいるひとに知らせに行くのか、もしそうなら、単なる恵まれた人が恵まれないひとに「伝導」に行くことであり、キリストのそれとは違うのではないか、ということである。** ### **神が選んだのは、いちばん貧しく小さくされているユダヤ人であり、イエスは「先ず打ちのめされた人たちのところへ、何も持たずに行け」という。** ### **私がかんじたのは、ある癌の末期のお嬢さんを見舞ったときである。** ### **私は若く、こちらの語る言葉がそのまま彼女に入っていると思っていた。しかし、彼女はそれ以上の苦しみのために、言葉を理解する余裕はなかった。** ### **私は、何もできないと心の中で絶望感を味わいながら、病室を出た。しかし、しばらくして、私より彼女の方が、多分神を強く求め、願い、神と繋がっていたと気づいた。私が傲慢だったのである。** ### **生きているわたしたちは、生と死をある程度知っていると思っている。そして、時には傲慢に、死にむかっているひとよりも、と。** ### **しかし、生と死を肌身で感じて、知っているのは、打ちのめされたひとだろう。豊かに健康に過ごしているひとにはなかなか、貧しく病いにあるひとの苦しみも、その人が神をどのように感じているかもわからないのではないか、と思う。** ### **最近、何名かの友人知人の死を知らされて、思うのは、その死のときに彼あるいは彼女の心が何を見ていたかは、簡単に、健康で豊かな生活をしていてはわからないということだ。** ### **死ぬまでに、私自身、どこまで深く心をさぐり、そこにある絶望と希望を知ることができるかと考えると、不可能だろうと思う。** ### **だから、とおり過ぎる全てのひとのうしろに神を見れたらなぁと思う。**

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