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生きるということと死ぬということ

生きる、あるいは食べるということの幸せは、言葉を替えて言えばたくさんの収入を得ること、その意味として考えても良いだろう。
というのは、私は食べることでは下手だと自認しているからである。
これまでの人生で騙されたことが4回ある。

理由は明確である。私は、ひとは根本に善をもっていると確信しるわけではないが、期待する甘さをもっている。そして騙される。

ひとは悪を根本にもっている、それが現実の人間世界からの通常の理解である。ひとは自分の利益、重要な利益のためには悪を悪と思わず行い、それを指摘されても「あれは悪ではない」と言うものをもっている。それほど、善悪の判断、倫理とは人間には弱いかすかなものである。

それがこの世界である。

しかし、ならばこの世界では悪を徹底的に行うのが策だとは思わない。多分そう考えるひとも多いだろう。利益をあげて豊かになることが人生の目的と考える人が多いのだから。

いつしか死が近いことに気づく。しかし人間の生きる人間関係、稼ぐためにできることは限られているから。

悪に負けない程度に、しかし悪を行わず生きるのは非常に難しい。悪を行うことで利益を上げ、快楽を得るのがこの世界の法則だから。

食べるということを考えると同時に、食べなくなる、即ち死ぬことについて考える。灰にしてもらって海に流してもらうのがすっきりしている。獣に食べられてしまうというのもジャングルでは自然だろう。家は人が生きる場所である。むかしなら、家を出て、海か山に入りそのまま死ぬのが当たり前だったろう。それも自然に思える。

あと少しで迎える死を、自然に迎えたいと思っている。

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