私自身にとってそれは、「価値あるもの」になるかもしれない
毎日noteチャレンジをしていたけれど
連続して毎日言葉を紡いでいくということは
そんなに簡単なことじゃないね。
ここ数日noteへの投稿ができなかった。
訳あって実家に帰るなど、少しだけ非日常的な時間を過ごしたことにより時間が取れなかったこともあるけれど、それ以上になんだか文章を書く気持ちになれなかった。
毎日途中までは書いてみるが、「出来る限り上手に」とか「ポジティブな内容」でとか、「面白いエピソードを思い出さなきゃ」とか欲張ってしまったせいでその先に進まないことがしばしばあった。
私はもう少しゆるゆるとほがらかに物事を取り組む事ができたらいいのだけれど、最初から張り切って欲張って疲れてしまう。
思えば小学生の時からそうだった。
学年が上がる4月の新学期、遠足の日、社会科見学の日、音楽発表会の日、修学旅行の日。
そのような新生活の始まりや非日常的なイベント関連の日は、楽しみで張り切りすぎて早起きしてしまう。(運動会は別。運動嫌いだったから)
特に4月の新学期は、クラス替えもあるし、担任も変わるかもしれないし、新しいことをこれから学ぶというワクワクと不安が混在して張り切って5時くらいに目覚める。「もう少し寝てれば?」と母に言われても眠れるわけがない。だって興奮状態、鼻息はこんなにも荒い。けれども当時は自分が張り切っていることを、鼻息がこんなにも荒々しくなっていることを自認していないかった。恐ろしい。
「絶対こんな一年にしよう!」「学級委員にもなろう!」「運動以外のことは全部頑張ろう!」
両親に"こうしなさい"と言われた訳でもないのに、一人で張り切って、結果エネルギーが切れて5月か6月には体調を壊す。1ヶ月と持たないエネルギー。
両親に「だからそんな張り切らなくていいって言ったのに」と言われても、当時は(何のことだかさっぱりなんですが)という気持ちで体調不良になっていた。そういう性格なんだと自分のことを"ちゃんと本当に認識"できたのは、社会人2年目から今此処での生活を始めてからかもしれない。
今まで以上に自分のことを分かることができたのだから、折角このツールを使って「書く」楽しみを実感できたのだから、自分を縛り過ぎず、張り切りすぎず「書くこと」をやってみよう。
勿論、「書くこと」を本当に仕事にしたいのならそんなゆるゆるとした心持ちで臨むべきではないのかもしれない。苦しくても言葉を産み出し、紡ぎ続けていくべきだという意見も理解できるし、それも正しいのだろう。楽しいことばかりじゃない。
それに「書くこと」を通して自分を表現したいと思っていても、「表現したもの」が多くの人に見てもらえなければ世間的には「価値の無いもの」「価値の無いこと」でしかない。
それはその通り、たしかに。それなー。
でも最初から張り切って頑張ると、自分は「書くこと」が嫌いになると思う。何にもやる気をなくすと思う。この人生を辞めたいと思うだろう。
張り切りすぎてしまう私だからこそまず「書くことに慣れる」ことを大切したい。日常の中にゆっくりと「書く」ために使う時間が増えてそれが当たり前になっていくように、溶け込んでいくように。
そうして紡いできた言葉は、世間的に「価値がないもの」であったとしても、私自身にとって「価値のあるもの」になるのではないか。
何故そこまでして「書く」のかはわからないけど。何故そこまでして「表現」したいのかも分からないのだけれど。
自分でもよく分からないのだけど、分からないなりにまたやってみようと思う。
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