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1. 半年間の地獄の始まり(MBA受験)

2011年7月、私は社費でのMBA派遣の対象に選ばれました。それまでも選ばれた場合に備えて英会話学校に通ったり、通勤時にTOEFLの単語帳をやったりと、一定の努力はしていました。しかし、自分が選ばれてすぐにインターネットで受験情報を色々調べた結果、自分が圧倒的に出遅れていることを悟り、文字通り絶望したことを覚えています。

MBA出願に当たっては、英語力を測るTOEFL(一部学校ではIELTSで代替可能)、学力を測るGMAT(一部学校ではGREで代替可能)という2つの共通試験を受験し学校にスコアを提出する必要があります。このスコアは非常に重要で、一定のスコアに到達していなければ、選考の対象にもなりません。加えて、Essayと呼ばれる論文と推薦状を添えて学校への出願しなくてはならないのですが、出願時期は多くの学校で10月頃の1st round、1月頃の2nd round、4月頃の3rd roundに分けています。1st roundは既に間に合う訳がないですし、一般的に3rd roundはタイミングが遅いため、手続きの面倒な我々日本人を含む外国人には受かりにくいと言われています。つまり、選択肢としては、2nd roundに何とか出願を間に合わせるしかないのです。この半年間にTOEFLとGMATのスコアメイクをし、Essayと推薦状を準備し、出願まで完了させる。そんなことができることが想像できませんでした。それでも社費派遣なので、受験を先延ばしにする訳にはいきません。

それからは本当に死にものぐるいでした。社内選考通過以降、平日は1日4~5時間程度勉強していましたし、土日は朝から晩まで全てをMBA受験に費やし、予備校と予備校の間を走って移動したりしていました。夜の飲み会にも行きませんでしたし、趣味でやっていたスポーツに行くのもやめました。この休日も含めて休憩時間が一切ないというのは想像以上に精神的にタフで、しかもこれに合格しなかったらどうしようというプレッシャーも加わり、冗談抜きに「このままいくと死ぬかもしれない。」と思いながら準備をしていました。当時常に考えていたのが、どうやったら最短時間でスコアメイクができるかといったことです。自分に合わない予備校などに行って、投資した時間に見合わない成果しかでなければ、それは即命取りに繋がります。

そこで、私が通った予備校、使った参考書などを細かく説明していくことで、今後同じように短時間で成果を出さなければならないMBA受験生の参考になればと思っています。ただし、当時と今では試験制度などに変化がある可能性もあるので、受験に当たっては、最新の情報を常に調べるようにしてください。

参考までに私の受験スケジュールは以下のとおりです。

2011 年6月以前

通退勤の電車内で市販の英語教材をリスニングするなど一般的な英語学習のみ。週に1度ベルリッツに通学。TOEFL、GMATに特化した勉強はしていなかったが、TOEICの試験前等は自宅でもそれなりの量の学習をしていた(多い日で1日2時間程度)。

2011年7月

7月中旬に社内選考の合格連絡。インターネットでMBAの受験体験記等を読み、自分の出遅れを認識、絶望する。MBA留学が決まっている友人に連絡し情報収集。大手予備校AGOSの夏祭り(MBA卒業生が一堂に会するイベント)にも参加。予備校探しを開始するが、TOEFL未受験で自分の実力が分からず、予備校選びの障害となる(TOEFLは7月末に初受験し、85点)。受験体験記等で評判の良かったGMAT予備校YESに通い始める。毎朝1時間弱、英単語に当てる(10月まで継続)。週1のベルリッツ通いも継続。

2011年8月

TOEFLは予備校に通う時間がないと判断し、AGOSのビデオ講座に申し込む。平日はほぼビデオ学習で終了(1日3時間程度)。詳細は後述するが、今思えば、平日の時間をかなり無駄にしてしまう。8月からAGOSのGMATコースに参加し土日はAGOSとYESでGMAT。8月末のTOEFLは94点。8月末から、各校の説明会に出始める。

2011年9月

8月の内容に加え、Math Academyという教材でGMATのQuantitativeの勉強を開始。また、AGOSでGMAT AWAのコースに参加(全4回)。9月末のTOEFLは96点。ほとんど点数が伸びないことにかなり焦る(特にWritingが全く伸びず)。

2011年10月

上司に推薦状作成を依頼。GMATの受験態勢に入り、平日もOfficial Guide等でGMATに取り組む。10月20日の初回受験で奇跡の700点。ただし、AWAはほとんど準備していなかったため3.5、AWAのせいでGMAT終了できず。TOEFLは100点超えしていなことにかなり焦りだし、Writing対策として、メールでの作文添削サービス(Jack)の利用を開始。受験頻度も徐々に増やす(9月までは月末1回のみ)。GMATで700点を取得した直後にエッセイカウンセラー(知人に進められた江戸義塾のEd)にもコンタクト。

2011年11月

Edの勧めもあり、TOEFL Speakingの予備校であるE4TG(Donald)への通学を開始。そんな中、10月末に受験したTOEFLで100点超えが判明。その一週間後に106点が出る。Speakingのスコアがかなり低かったため、E4TGの通学は継続するが、自宅学習はほぼGMATのみとなる。GMATを再受験し、再度700点。AWA4.5。GMAT終了。11月初旬から徐々にエッセイカウンセラーとのやり取りを始め、中旬以降はほぼ完全にエッセイに専念(E4TGへの通学とTOEFLの受験のみ継続)。出身大学から成績証明書等を取り付ける。

2011年12月

TOEFLはSpeakingのスコアを伸ばすために週1での受験を継続するも、結局106点を超えるスコアは出ず、12月半ばに諦める。試験対策は終了し、エッセイ等出願書類の作成に専念。毎日カウンセラーにエッセイをメールで送りつけ、添削内容を反映して、再送付という行動を繰り返す。推薦状やその他の出願書類も準備。8校受験することとなったため、時間との戦いとなる。12月末までかかって何とか出願書類を一通り揃える。

2012年1月

1月初旬に8校に一斉出願(2nd round)。カウンセラーと面接の練習。週に1度程度だったので、急激に暇になる。面接の練習で他の受験生と会うようになり、情報交換できるようになる(それまではかなり孤独な受験生だった)。

2012年2月

何校からかInterview(面接)に呼ばれ、日本人Alumniと面接。この時期になると、何校か書類落ちしたことが分かってくる。3rd roundに向けた準備をすべきか悩む。

2012年3月

毎日悶々としながらメールを確認する日々。そんな中、3月8日にUCLAから合格連絡。全てから開放される。4月初旬には全ての合否結果が出揃い、UCLAを進学先に決定(合格はUCLAとUSC(IBEAR)、MichiganがWait list)。

本記事は以下のマガジンの一部です。


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