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7. なぜ英語ができるようになりたいのか

これまで英語学習の方法についてご紹介してきました。大人になってから英語を身につけるためには、毎日の英語学習を継続するなど、かなり自分に負荷をかけなけれなりません。英語を学びたい理由は人により様々だと思いますが、中には大人になってから英語を学ぶことについてネガティブなことを言う人もいます。「今さら英語が話せるようにはならない。」「英語ができたところで給料は上がらない。」「将来的にはAI通訳ができるので英語を話せる必要はなくなる。」そのような話を聞いて、英語学習を開始することに踏ん切りがつかない人もいるでしょう。ただ、私は10年前に英語をやるという決断をしたことが、良い意味で人生を変えたと思っています。そこで、私なりに英語を学習する意義を紹介していきます。

世界が広がる

日本はたしかに素晴らしい国です。食事は美味しいですし、社会インフラが整っていて清潔です。何より、家族や友人などもたくさんいます。ただ、日本以外にもたくさん素晴らしい場所はあります。たとえば、私の以前住んでいたLAは気候が最高でした。温暖で湿度が低く、雨もほとんど降りません。また、米国はバリアフリーが徹底されており、わずか3段の階段にすら車椅子用のエレベータが備え付けられています。ベビーカーで外出してもほとんどストレスを感じることがありません。ビジネスでも新しい企業が次々に現れてくるなど、社会がエネルギーに満ち溢れています。日本より米国(LA)の方が素晴らしいと言い切るつもりはありません。しかし、「日本こそが最高の国なので外に目を向ける必要がはない。」という発想は、あまりに盲目的だと思います。かつて発展途上国と言われた国々も、急速な変貌を遂げています。たとえば東南アジアの国に住むことは、未開の地に住むことを最早意味しません。どの国が好きで、どこに住むかは自分で決めれば良いですが、英語を学ぶことで、日本の外への扉を開けることができます。

信頼が広がる

社会がグローバル化することで、特にビジネスの場においては、日本人以外と接点を持たずに過ごすことは難しくなっています。ただ、自分が英語を話せなくても通訳を介せば会話はできます。将来的にはAIが進化し、自動通訳により英語を話す必要がなくなる世界になると言う人もいます。しかし、私はそんな未来が来るとは信じていません。
日本人からすれば日本語が母語で英語が外国語ですが、イギリス人やアメリカ人にとっては英語が母語です。人は外国人が自分の母語を話してくれると嬉しいものです。たとえば、日本の職場にアメリカ人の同僚がいたとします。彼がある程度日本語が話せたとしたら、彼とは何語で会話をするでしょうか。自分がある程度英語が話せても、日本語で会話する人がほとんどだと思います。そして、日本語を話す彼に親近感を持つことでしょう。海外の企業との打ち合わせで先方の出席者が10人いて、そのうち1人だけが日本語を話せることが判明したとします。その人のことはすぐに覚えますよね。逆も同じです。自分が英語を話せると、外国人から覚えられ、信頼される可能性が高くなるのです。

それでは、英語が母語でない国ではどうでしょうか。英語が母語でない国でもビジネスは英語で行われることが大半です。その国の人たちは、外資系の会社で良い給料をもらうため、あるいは海外に出て活躍するために英語を身につけています。覚えておかなければならないのは、その人たちも努力をして英語を身につけたということです。そういった国で働く際、日本語しか話せない日本のビジネスマンがどのような目で見られるでしょうか。残念ながら、グローバルでビジネスをしているにも関わらず、英語を身につける努力をしなかった人と判断されてしまいます。日本人にとって英語を覚えるのは大変なんだという言い訳は通用しません。彼らは英語を身につける苦労を理解したうえで、それを乗り越えてきているのです。どんな国にいても、英語を話せるようになれば、周りが自分を見る目が変わることに気づくでしょう。

自分自身が英語ができても、英語ができない参加者がいるので会議に通訳をつけるということはよくあります。通訳の方はもちろんプロとして素晴らしい技術を持っているのですが、専門用語が飛び交う会議等においては、誤訳したり、趣旨の異なる翻訳をしてしまったりということがあります。自分で英語ができれば、そのようなミスに気づき、訂正することができるのです。このような経験を踏まえると、コミュニケーションにおいて、当事者以外の第三者を間に挟まないとお互いが言っていることが理解できない状況というのは危険だと感じます。

機会が広がる

英語を勉強することに対するネガティブな意見として「そもそも英語なんて使わない。」というものがあります。この意見はたしかにその通りだと思います。日本の企業の多くは日本語でしか仕事をしませんし、英語ができなくても出世している人はいくらでもいます。そういった環境下において、突然会社がTOEICで730点以上を取ることを義務付けたりしたら、反発したくなる気持ちも分からないでもありません。ただ、私は英語を話せるようにしておくということは、目の前に転がっている機会を逃さない意味もあると考えています。
たとえば、就職活動の際に、帰国子女の人が外資系企業からあっさり内定をもらうことを羨ましく思ったことはありませんか。特に、高学歴の自分に自信のある方の場合「本当は俺の方が優秀なのに英語ができるだけで得をしている。」といった感情を持つこともあるでしょう。ただ、外資系企業で働くには英語がある程度できた方が良いという事実は変えられません。会社からすれば、社員の地頭がいくら良かったとしても、社内でまともなコミュニケーションが取れなければ、それは無能と変わらないのです。英語ができれば、こうした「英語さえできれば」という状況を回避することができます。

日本においても一般的な日本企業よりはるかに恵まれた待遇で仕事をしている人はそれなりにいます。これは、投資銀行や戦略コンサルなど、身を削りながら働かなければならない業種だけに限りません。そして、そうした企業の一部は、英語を話せないと受け入れてもらえません。日本企業はたしかに安定していますし、業種によってはかなり良い給料をもらうこともできます。日本語でストレスなく働きたいという考えも否定しません。しかし、日本企業の中で成功することも容易ではありません。30代を過ぎると、とにかく仕事をすれば成長していた20代とは違い、想い描いていたキャリアがなかなか実現せず悩む場面も多くなります。そういった際に、いざとなれば外に出れば良いと思えるだけの自信があると、自分の未来が会社にコントロールされているという思いが弱まり、だいぶ心に余裕ができます。英語能力というのは、そのような自信を持つ根拠の一つとなります。そして、社内で成功するためにも、英語はメリットにはなり得ても、デメリットにはなり得ません。社内でも「英語さえあれば」という機会が目の前に飛び込んでこないとは限らないのです。

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