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タンとレモンと君と。



連れて行かれたのは焼き肉だった。

なぜ焼き肉?と思ったが、

黙って彼の後ろをついてお店に入った。


* * * * * * * *


「ランチでも食いながら話そっか。」

彼は、そう言いながら私の顔を見た。


主張をしろと言う割には

主張をすると否定されることや、

売上とかスキルアップとか

自分の興味から最も遠いもので

評価されることにも疲れていて、

私は少し渋い顔をしていたのかもしれない。

彼はそれに気づいたのかわからないが、

あっけらかんとした口調で

「昨日食べすぎちゃったからさ、

ビーガンランチにしよ!痩せなきゃ」

と言って笑った。

彼の、「痩せる」「食事制限」

「今日からからダイエット」という言葉は

会社に入ってから多分100回は聞いていたので、

私は彼とのカレンダーに

「ビーガンランチ(笑)」と入れた。



そしてその彼と今、焼き肉屋で向かい合っている。

彼いわく、焼き肉こそ

「一周回って最強のビーガン」らしい。

その解釈正しいのか?と思ったけど、

あまりに不意打ちすぎて、笑わずにはいられなかった。

焼き肉の匂いで充満した店内。

彼は紙ナプキンを首にかけながら、

「焼き肉ランチってほんといいよね~」と

完全に無防備に、口元を緩めていた。

その姿はまるで、

よだれかけをつけた赤ちゃんのようで、

私はまた笑ってしまった。


結構悩んだ挙げく、

私はハラミセットを、

彼はランチで一番豪華なメニューを

肉増しで頼んでいた。

彼の脳から「ダイエット」という単語は

完全に消えているようだった。


「焼肉ランチってさ、なんか良くない?」

また彼は言った。

「ランチっていってもさ、やっぱり気張るじゃん?

会社の人だし。でもさ、なぜか焼き肉だと、

今日はもうビール飲んじゃおっかな~

ってくらいリラックスするよねぇ」

彼は笑いながら水を飲んだ。

まぁたしかに、と思った。

私も、さっきまで入っていた肩の力が

完全に抜けていた。

「同じ匂いさせてフロア戻るのも、

なんか共犯者って感じでいいですよね」

彼の話に私が乗ると、

「そうなのよ!なんかエロくていい!」

と彼は無邪気に笑った。



頼んだ肉を一瞬で平らげた二人のもとへ、

彼が追加で頼んだタンが運ばれてきた。

皿には分厚いタンに、レモンが添えられていた。


私はレモンを手にとって、ふと思った。

あれ?レモンって

焼く前にかけるんだっけ?食べる前だっけ?

正解がわからなくて困った私は

ちらりと彼を見た。


「レモンって」

「うん」

「先にかける派ですか?あとから派ですか?」

「やばい。わかんない!」

彼は笑った。

意外だった。食通の彼なら知っていると思った。


正解をネットで調べようと思ったら、

また彼が言った。

「全部試せばよくない?

焼く前と、焼いてる最中と、焼いた後と。」

そう言いながらながら彼は、6枚中2枚にレモンを絞った。

わたしは不意を突かれて、

黙って楽しそうにタンを焼く彼を見つめた。

また可笑しさがこみ上げてきて、

私は笑った。


ああ彼は、いつもそうだ。

「正解」に囚われて困ってしまったとき、

ふいに側にやってきて、その概念をふっとさらっていく。

自分をきつく縛っていた何かが外れて、

急に軽くなって、なぜか笑ってしまう。

私は何か一つのことに集中すると、

それしか見えなくなるから、

彼のそういうところにいつも救われているのだ。

焼く前にレモンを絞るのも、焼いてる最中に絞るのも、

焼いた後に絞るのも、

全部間違いかもしれない。

その中に正解なんてないかもしれない。

でも、別にいい。

彼といると、そんなふうに思えるのが不思議だ。

彼は自分の魅力を自分でわかっているタイプだけど、

まさか牛タンにレモンを絞っているときに

こんなふうに感謝されることがあるなんて

思ってもいないだろうな。

無邪気に焼けたタンを頬張る彼を見ながら、

そんなことを思った。

結局、3種類のタンは、どれも美味しかった。


* * * * * * * *


お店を出ると、3月なのに猛烈に冷たい風が吹き付けた。

お腹がいっぱいだからだろう。

風は、気持ちがいいくらいだった。


普段なら、ランチのあとの匂いが気になって、

香水をつけ直す。

でもなんか今日は、別にいいやと思った。

「やっべ、ミーティングだ。」

小走りに彼が走り出す。

私と同じ匂いをまとって走る彼の背中を見ながら、

彼と同じ匂いをまとった私は、

ゆっくりと会社への坂を登っていった。



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