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「青山誠と学ぶ保育基礎講座ほいくきほんのき」に寄せて その4〜続・見る

「青山誠と学ぶ保育基礎講座〜保育の読む、書く、見る、対話する」に寄せて。
今回は、保育者が子どもを「見る」ことのきほん、子どもを現場で見るときの実際をすこし紐解きます。

前回は、保育者が見ることって世の中のほかのおとなたちが子どもを見ることとどうちがうか、どう決定的に違うか、のお話でした。

それでも保育現場の実際においては、前回のお話はともすると「理念的に」もっといえば、ポエムみたいに聞こえてしまうかもしれません。

そんなのポエムだろ、実際の保育現場ではもっとたくさんの子を見なくちゃいけないし、一人一人にそんなじっくり関われないでしょ。

……なんて言う人がいたとしたら、ぼくはさらっとこう切り返します。
うんうん、あのね、それはね、技術の問題ですね、と。

たくさんの子どもと共に過ごす。そんなことは保育の当たり前です。
そんななかで、いかに子ども一人一人を見るか、それは保育という仕事のそもそもの始まりにある課題であり、状況であるわけです。

では保育者はどう見るか。
「伸び縮みする目線」と「動き直しを繰り返す」、そして「身体の向き」。
この組み合わせで、全体を見ながら、一人一人の子にも着目していくわけです。
保育者が見るというのは、監視カメラのようにただ全体を見ているわけではありません。
遊び、応答しつづけるなかで、同時に見ているわけです。
すべてをここで説明すると膨大になってしまうので、詳しくは講座に譲るとして、少しだけ。

たとえば「身体の向き」。
園庭でたくさんの子が遊んでいるとする。その全体を見ていたい。
でも砂場で遊んでいるAちゃんのことが最近気になっているので、
できればAちゃんとじっくり関わりたい。
これって同時には成り立たないことでしょうか。

こういう場合には、砂場でAちゃんと関わりながら、身体の向きを園庭のほうへ向ける、ということで成り立ちます。

なーんだ、こんなことか。
そうなんです。紐解いてみれば「なーんだこんなことか」なんです。
簡単で、だれでもできます。
ただ、身体の向きについてあまり意識していない保育者もよく見かけます。
保育者同士って、その人の動き、身体の向きをみれば、おおよそ考えていることがわかるわけです。そこに意図が感じられるから。

だからこそ、なぜあの保育者はこの状況であの身体の向きをしているのだろう、とその意図が曖昧に見える(あくまで、見える、です)ときも、けっこうあります。

砂場でAちゃんに関わりながら園庭に背を向けていたら、園庭で遊ぶ人たちを見渡す時に、いちいち身体の向きをぐるりと反転させなくちゃいけない。
ぐるりと向き直った瞬間、Aちゃんから「ねえ、Aちゃんとあそんでんじゃないの?」と言われちゃったりもします。
それに背中に園庭を背負ってしまったら、意識も薄くなります。

Aちゃんと関わりながら園庭のほうに「身体を開いておけば」(私はこういうとき、身体を場に開く、というような言い方をします)、顔をあげるだけで園庭の全体が見渡せるのです。Aちゃんとの流れを切らないままに。

「伸び縮みする目線」は、遠距離、中距離、近距離と対象になる子どもとの目線を伸び縮みさせることですが、それは研修に譲るとして、
保育者がいかに360度の視野を確保するか、に触れてみます。

もちろん背中に目がある、なんて比喩です。あるわけない。
でも経験を積んだ保育者の場合、まるで背中に目があるかのように場の全体を把握しつづけていることができます。

これとてなんら超能力めいたものではありません。
具体的に言えばそれは「短期記憶を残して、つなぐ」ということです。

たとえば全体を見渡す時に、
砂場にいるAちゃんを見る。そして「砂場でAちゃんが遊んでいる」と認識する。
目線をうごかかすと、BちゃんとCちゃんが木登りをしている。
さらに目線をうごかすと、物置のまえでDちゃんがしゃがんでいる。
少し離れてEちゃん、Fちゃん、Gちゃん、Hちゃんが輪になっている。

このときに、AからBへ、さらにCへと目線を動かす時に、Aの砂場の風景を記憶にとどめておく、とどめながら目線を動かすということです。
そうすると、また目線をAに戻した時に、当然そこには時間の流れがありますから、変化があります。
最初に見たときの記憶1と、次にまた目線を戻した時の記憶2の、その変化の差をつなぎあわせていくのです。そうすると、予測が生まれます。

たとえば、
記憶1では、Aちゃんは砂場を掘っていた。
記憶2ではバケツをもって水道に向かっている後ろ姿だった。
「あー、おそらく、おおきな山をつくれたから、そこへ水を流したいのかな」と、変化の差を埋めながら予測していくわけです。

その瞬間見ていない他の場所でも、
おそらく変化が起こっているであろうことが予測されて、
また目線を戻すことも促されますし、
目線を戻した時にもその「変化の差」を予測で埋めていけるわけです。

そういうことを繰り返しながら、いまどこに自分が関わった方がいいのか判断を下していくわけです。

つまり「保育者が360度視野を確保する」というのは、
監視カメラとはまるでちがって、
子どもたちと関わりながら、短期記憶をつなぎあわせて、「変化の差」を予測しているということです。

むずかしそう?でも慣れればわりと簡単にできますよ。
私も初心者の頃これがなかなかできませんでした。
そこで、保育室と園庭の図を描いて大量にコピーしておいて、10時50分と13時になったら、だれがどこで遊んでいるかだけをばーっと書き込む、ということをやっていました。1ヶ月くらいすると、場所で遊んでいる子、関係性で遊んでいる子、遊びの種類で遊んでいる子、がいることに気がつきました。

なんでもいいわけです。習熟していくための方法は。
それでもひとつ言えるのは、保育者が子どもを見る、理解するということは理念的なことだけでは終わらないということです。

子ども理解が変わるとか、深まるとかいう場合には、これは比喩ではなくて、保育者の目が変わる必要がある、身体的な変化を伴うわけです。
身体が変わるって、痩せるとか太るとか、トレーニングして筋肉をつけるとかいう場合をみればわかるように、「しばらくはかかる」わけです。

なので、焦らずに。たゆまず続けてみることが大事です。
伸び縮みする目線、動き直し、については講座でじっくり解説します。
時間帯によっての立ち位置についても。

次回は、対話する、そのための言葉がけならぬ「間がけ」について。

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