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自分と子供達のスポーツの道No.11

最後は三男の話

 小学校では軟式野球、5年の途中からは硬式野球、中学でも硬式野球のクラブチームへ入団し野球を続けました。学校の部活はソフトテニス部へ入部しました。

 三男も部活よりはクラブチームでの硬式野球を優先していました。小学生時代はチーム内の同級生が5人と少なく、主力選手として毎試合出場していましたが、中学生で入団したチームは同級生が37人、その誰もが小学生時代のチームでは主力級の子たちばかりで、高いレベルの野球、そして高校で活躍することを夢見て入ってきた子がほとんどでした。

 そして、このチームは、アップとダウンのみ全体で行うものの、それ以外の練習は、学年ごとに、それぞれの場所で行われました。もちろん試合も上級生や下級生が混ざることなく、同級生のみのチームで出場しました。37人でスタートした大所帯のこの学年も、最後には30人ほどとなりましたが、それでも試合に出られるのは全体の一部、ベンチに入りできない子もいました。ただ、チームの基本方針として高校6年間という考えがあり、中学1年から高校3年までを一つと考えての指導であり、1番の目標は高校で活躍できる選手の育成だったため、全ての練習を、平等に、やらせてもらうことができました。一つのポジションに、3人〜4人でレギュラーを目指して競い合う状況で、公式戦に出場するにはまず、チーム内での競争に勝つことが必須でした。

三男は内野手(二塁手、遊撃手)で、出場した公式戦は5試合くらいだったと思います。

 チームでは高校野球へ進むための基礎的な部分はもちろん、野球への取組み姿勢や、時代に即した野球というものを教えてもらい、さらには野球に限らず自分で考えて行動することの大切さを厳しく教えてもらいました。

全国大会出場を目指していましたが、その目標を達成することはできなかったものの、高い意識を持って日頃から切磋琢磨してきた仲間との時間は、大変有意義なものだったと思います。大学生となった今でもこのチームの友人と連絡を取り合ったり、帰省した際には遊んでいます。同期の中には、第100回記念、夏の甲子園大会に出場した選手もいます。

 そして、9月に入り、中学野球の全日程を終え、高校野球に向けての身体づくりを主体としたトレーニングが開始されました。それと同時に進路先についての相談も始まりました。

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