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哲学、ここだけの話(アンリとエックハルト)

ここで言うエックハルトは、中世ヨーロッパの神学者、マイスター・エックハルトで、アンリとは、現代フランスの哲学者、ミシェル・アンリです。

いずれも哲学研究者であれば知っている名前でしょうが、プラトンやデカルト、カントのように、誰もが一度は読んだことがある、といった思想家ではありません。むしろ、有名だが読まれることが少ない思想家たちでしょう。

とは言え、エックハルトはハイデガーが高く評価した思想家ですし、アンリもその著作の多くが日本語訳されています。では、この両者に何か深い関係があるのでしょうか。時代も国も異なる両者にどういう関係があるのか。

アンリに興味があるという人には周知の事実ですが、彼は終始、エックハルトに深い関心を寄せ、自らの思想に、その思想を取り込んでいるのです。ハイデガーもエックハルトに言及しますが、そうした言及は一瞬で終わり、後者のテキストを引用したり、説明したりはしません。それに対しアンリは、エックハルトのテキストを数多く引用して、その読解を試みています。そしてそれは、彼の思想の核心ですらある。

ハイデガーやフッサールのテキストとの対決がなされた後に、中世ヨーロッパの神学者のテキストが延々と言及されるのです。これはかなり異様なことです。

エックハルトは、中世の人なので、その研究は、その時代の研究に特化した研究者によるものがほとんどです。つまり中世哲学研究というカテゴリーで論じられる。とはいえ、ハイデガーやアンリだけでなく、エックハルトに言及する現代の哲学者は少なくありません。実はデリダもエックハルトを論じていますし、そういう意味では、現代哲学において論じられる数少ない(唯一の?)中世の思想家なのです。

いつも言うことですが、ヨーロッパでは、アリストテレスは、古代哲学というカテゴリーを超えて、現代哲学というカテゴリーでも語られます。残念ながら日本でハイデガーとアリストテレスを並べて論じられる現代哲学研究者はほとんどいませんが、ヨーロッパに行けば普通にいます。これも何度も言うことですが、ドイツ語と古典ギリシア語のどちらもできるという現代哲学研究者が日本には少ないからです。

それはさておき、中世哲学研究が論じるエックハルトと現代の哲学者が論じるエックハルトは、大きく異なります。事実、前者の研究にアンリやデリダのエックハルト理解が言及されることはまずありません。哲学史研究者(哲学史家)と哲学者では、テキストへのアプローチがまるで違うからです。では、アンリたちのエックハルト理解は、時代背景を無視した恣意的な解釈なのでしょうか。

私の見るところ、ハイデガーのエックハルト理解は、かなり自分勝手なものですが、アンリのそれは、肝心な点を把握しているように思います。彼が「内在」という表現で論じているものが、エックハルトの言う内面性と通じるものであるのは間違いありません。とは言うものの、私からすれば、その内面性理解に不十分なところがあるのは否めません。それでも凡百のエックハルト研究に比べればはるかに核心に迫っていると言える。と言うのも、エックハルトは、魂の内面において、一切の存在が成立すると述べているのですが、アンリは、そうした「内面における根源的存在の成立」こそが、実は、従来の哲学が見逃してきた「世界の存在」なのだと言うからです。こうしたエックハルト理解は、基本的には間違っていない。

かようにエックハルトの思想を自らの思索の核心に据えているアンリなのですが、そのアンリを研究する人々が、エックハルトに興味を持つことはないようです。日本の研究者によくみられることがここでも起きている。

自分たちが研究している哲学者から離れられないのです。それは、彼らのしていることが、哲学者研究、自分が専門としている哲学者のテキストの研究だからです。そこから一歩踏み出そうという人はものすごく少ない(それには大きなリスクがあるからでしょう)。自分が研究している哲学者のテキストだけでも手一杯なのに、それを掘り下げるために、さらに別の哲学者に取り組むなんて不可能だと考えるわけです。

しかし、そういうことを言っていると、いつまで経っても、広い視野を獲得することはできません。私のような、博識には程遠い学者ですら、それなりの大きな哲学の流れは理解できます。ヨーロッパの古代がどういう時代か。中世のキリスト教世界がどういうものか。キリスト教を自らの世界観にするとはどういうことか。これくらいのことは、しっかりした問題意識さえあれば、理解できるようになるはずです。

他方、近代哲学の研究者は近代のことしか学ばない。現代哲学の研究者も、遡ってもせいぜい近代哲学まで。

これでは、いつまで経っても、欧米と向き合う哲学は生まれないでしょう。




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