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哲学、ここだけの話(エックハルト)

マイスター・エックハルト(1260?〜1328)は、後期中世ヨーロッパを生きたキリスト教神学者である。当時の思想状況は、十三世紀にイスラム世界経由でアリストテレスの原典が伝えられ、それが大きな刺激となって、スコラ哲学の最盛期を迎えた直後である。エックハルトが所属したドミニコ会は、こうしたアリストテレス哲学をキリスト教神学の形成に積極的に取り入れたのだが、それは彼の師匠筋にあたるアルベルトゥス・マグヌス、兄弟子トマス・アクィナスによって一つの完成をみるにいたる。とりわけ後者は、スコラ哲学を代表する(あるいは今なおカトリックを代表する)神学者であり、エックハルト自身、「一切の存在者の存在は、存在そのものである神に由来する」という考えをこうした伝統から引き継いでいる。

ここまでの話であれば、エックハルトもまた一人のスコラ哲学者で終わったのかも知れないが、その晩年、主にドイツ語で行っていた説教の文言に対して異端の嫌疑がかけられ、その死後、そのいくつかの文言が異端とされて、彼自身が歴史の表舞台から消し去られることになる。彼の名前が歴史の表舞台に再び現れるのは、五百年後、十九世紀に入ってからである。

エックハルトの思想で有名なのが、「魂における神の子の誕生」と言われる事態である。私たち一人一人が、自らを完全に放下する(捨てる)なら、神がその一人子を私たちの魂の内に生む。その時、その一人子は、私たち一人一人にほかならない。これがエックハルトの主張である。

こうした考えが異端なのかどうか。この問いへの答えは、結局のところ、何を異端とするかという「正統と異端」の境界線問題に行き着く。そしてその境界線は、時代によっていくらでも変化する。ましてやプロテスタントの登場によって、カトリック教会という「正統」そのものが、その唯一の正統性を失った近代以降においては、こうした問題設定そのものが有効性を持たないようにも思える。ましてやキリスト教信仰が一般的とは言えない日本で、こういったことが本気で論じられることもない(専門家は別として)。

では、エックハルトの何が問題なのか。よく言えば、エックハルトが「常識的なキリスト教」の枠に収まりきらない思想家であることが問題である。日本では、西田や田辺がエックハルトを高く評価し、日本のエックハルト研究をリードしてきたのも京都学派の面々である(西谷啓治や上田閑照などの研究は、現代ドイツのエックハルト研究にもしばしば引用される)。ヨーロッパとは異なる視点から哲学を構築しようとした京都学派の面々が、自分たちとよく似た思想として取り上げたのが、エックハルトだったのである。それだけではない。有名な宗教学者ルドルフ・オットーは、その有名な著作『東西の神秘主義』で、シャンカラとエックハルトを比較している。つまりエックハルトは、ヨーロッパのものでありながら、深く東アジアの思想と共通性を持つ(現代風に言えば)「きわめてグローバルな」思想を展開していると言えるわけである。

何度もここで書いているように、日本人はハイデガーが好きであるが、ハイデガーが死の直前まで気にかけていた思想家がエックハルトである。残念ながら近年のハイデガー研究では、エックハルトの名前を見ることすらほとんどないが、ハイデガーにとってエックハルトがきわめて重要な思想家であることは疑いない。彼は、折に触れてエックハルトに言及しておきながら、一度も本格的に論じたことがないという、不思議な態度に終始したのである。

私がエックハルトに初めて出会ったのは、今から四十年以上も前であるが、改めてこの四十年を振り返ると、その変遷に驚くしかない。私がエックハルトを読み始めた頃、日本語で読めるエックハルト関連書籍は、一、二冊であったが、その後、西谷門下の研究書や翻訳が次々と出版され、あれよあれよという間に、それがドイツ神秘主義の枠を超えて、キリスト教神秘主義全般への関心を呼び起こし、複数の神秘主義著作のシリーズが刊行されたのである(今はもう見る影もない)。それが前世紀の八十年代、九十年代の話である。そう、まさに時はバブルの時代であった(おそらくこれは偶然ではない)。

バブルが弾けて日本社会全体が長い停滞期に入ると、神秘主義に対する関心も嘘のように消え去ってしまった。上田のエックハルト関連著作も、書店から姿を消して久しい(彼の著作は、十年以上も前から「すべて」書店から消えているが、これは彼自身の意向だろう)。今日、一般読者がエックハルトに触れることができるのは、文庫で出ている二つの翻訳だけである。もちろん専門的な著作は、今もぽつりぽつりと発表されているが、一般の関心を引くほどの影響力を持つには至っていない。

では、本国ドイツではどうか。実はドイツでは、エックハルト研究は今なお盛んである。それどころか、エックハルトの研究学会が設立され、定期的に学会が開かれるようになっている。エックハルトの全集がほぼ完結し、基本となるテキストが(暫定的にではあれ)確定したというのも大きい。こういった流れの中心となっているのが、いわゆるボッフム学派と呼ばれる人々であるが、さらにその中心人物が、 K. Flasch である。

Flasch を中心とする研究者たちの解釈の傾向として言えるのが、徹底した文献学的、歴史学的視点である。エックハルトを中世ヨーロッパの思想界の中に位置づけて、その大きな流れの中で解釈する。彼らは、「中世ドイツの哲学」ということを強調するのだが、それは、エックハルトの師であるアルベルトゥスから始まるドイツのドミニコ会神学者たちの系譜を指している(トマスはイタリア人なので、この系譜には属さないことになる)。これまでほとんど扱われることがなかったドイツ人神学者たち(その代表格が、フライベルクのディートリッヒ)の系譜に光を当てたことは、哲学史研究における彼らの重要な貢献である。しかしエックハルト研究に限った場合、そうした系譜にエックハルトを位置づけることが果たして生産的なのかどうかは別問題である。事実、Flasch たちのエックハルト解釈には決定的な問題があるのだが、ここはそれを論じる場所ではないだろう。

盛んであるとは言え、近年のヨーロッパは、エックハルトをアウグスティヌスなどの思想の系譜に収めようとする傾向が強い。つまりその「キリスト教には収まりきらない」面ではなく、「キリスト教に収まる」面を強調しているのである。しかしそれは、エックハルトの独自性を捨象することである。異端ギリギリとでも言える、彼の過激さを切り捨てることである。

私の見るところ、エックハルトは、世界の思想史上でもきわめて稀な「究極の真理」に手をかけていた人物である。私の知る限り、同じ真理に手をかけていたのは、パルメニデスくらいである。残念ながら、両者の思想を私のように読む哲学者はいないのだが(今の京都にもいない)、それは、今日の哲学が、もはや「究極の真理」になど関心を払わなくなっているからである(少なくともそうとしか思えない)。

実は、私の手元には、一昨年暮れには完成していたエックハルトを論じた書籍原稿がある(内容は一般読者向けで新書の分量)。この二年近く、出版社を探していたが、出版不況ということで、どこからも相手にされず、塩漬け状態が続いている。今も、ある出版社と交渉中であるが、出版に至るかどうかは微妙。

ちなみに私の主張の学問的な裏付けとしては、今となっては不十分極まりないと思える昔の拙論、Die Freiheit bei Meister Eckhart が、ドイツで最古の伝統を持つ Philosophisches Jahrbuch (1997/II)に掲載されており(その下地となる日本語論文は、京都哲学会の『哲学研究』に掲載)、さらにエックハルトが明らかにしたと思われる究極の真理を論じた拙論 Der Bann des Seins も同じく、Philosophisches Jahrbuch (2007/II) に掲載されている(その邦訳は拙著『存在の呪縛』に収録)。加えていずれの論文も、欧米のいくつかの文献リスト(エックハルト、ハイデガー、パルメニデス文献リストも含む)にリストアップされている。

(さらに書いておくと、私の指導教授(名前は伏せるがバレバレでしょう)は、私の論文に対して、一度もコメントを返してきませんでした(彼にとって私は鬱陶しい教え子だったからでしょう)。ただ、私が、究極の真理についての論文を日本で発表し始めた頃から、たくさん出ていた彼の著作が書店から姿を消していきました(笑)。)





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