1杯しか頼まないお客さんについて思うこと
月に一度、有楽町にあるバーで店長をしています。
私の入る日は「おひとりさま限定」なので、初めまして同士のお客さんの間で楽しそうな会話が生まれるのを眺め、ほくほくした気持ちでラーメン食べて終電帰りするのが第3金曜日のルーティンです。ラーメンはたまに牛丼になることもあります。
しかし1年弱同じコンセプトでやってきて、いまだに難しいなと思うのが、1杯しか頼まないお客さん問題。
私が店長として入らせてもらってるPORTOは「ソーシャルバー」。
毎日変わる店長を軸に集まった人たちが日によって様々な会話を楽しめる場であり、ドリンクを1番の売りにしている店ではありません。なんなら私の日は強硬にビールかハイボールで押し通しますし、2人いるオーナーの1人は下戸です。
そんな店だからこそ、お酒を飲まない・飲めない方も沢山来てくれます。
一般的に飲んだくれというのは飲んだくれ同士でつるみ、飲まない人たちというのは異なる世界の住人。「飲まないってじゃああんた一体何にお金使うのさ?」と純粋に疑問に思ってきましたが、逆もしかりでしょう。
そんな価値観の異なる両者の出会い、そして目から鱗の異文化交流が毎晩有楽町の片隅で生まれているのはあまりに素晴らしいことであり、バーだからといってお酒を頼んでもらう必要は全くありません。飲めない人・飲まない人、大歓迎です。
一方、1杯で2時間も3時間も場を楽しみ尽くしてで帰られる方には思うところがあり、あえて書くかは悩みましたが書いてみることにします。
※なおこれは私個人の意見であり、お店の意見を代表するものではありません。
フリーライダーには優しくなれない
端的に言うと、そういう人に私は優しくなれません。なぜかというと、フェアじゃないと思うから。
ソーシャルが売りの場。飲み物がなくても楽しい会話がある。手持ち無沙汰を飲み物で紛らわせる必要もない。
定額で楽しみ放題のサービスが、なんなら無料でも存分に楽しめるコンテンツが、世の中に増えるに連れて「エンターテインメントはお金を払って楽しむもの」という感覚はどんどん薄れてきています。
でもその場を成り立たせてるのはやはり売り上げであって、だからお金を使わなくても楽しめる店だと思われると立ち行かない。
飲み物以外に課金のしどころを用意できていないのは店側の課題でもありますが、その場が何によって成り立ってるかを知らずにリアルの場でも消費者のスタンスで楽しもうとしてる人たちは「フリーライダー」です。
そんな人に対しては、優しくできません。ちゃんと場への対価を支払ってくださっているお客さんに失礼だから。
酒場の価値が場である限り、お客さんはお客さんでありながら、ホストでもあると思うのです。
だからお酒を飲まない人、全然飲む必要はないです。でも...
「店長、よかったら一杯どうぞ」
(人に飲んでもらう)
「ウーロン茶のソーダ割、おかわり!」
(自分で飲む)
「あなたの人生、占います」
(金銭以外の価値を場に提供する)
そんなことを言ってもらえると、楽しい場所がこれからもあり続けられるんだよ。
ってことが、このnoteをきっと読むことのない彼ら彼女らに、いつの日か伝わるといいなと思うのであります。
おわり。
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