火山が好きでジオパークを巡っているの(5)三松正夫記念館
ちょっとご無沙汰しちゃったけど、最近なぜか耳の先っちょが痒い火山好きの間熊田マリよ。なにかの予兆かしら。
さて、4回に渡ってたっぷり書いてきた【洞爺湖有珠山ジオパーク】の火山合宿も今回が多分最終回。最後は私にとってのアイドルに会いに行くわよ♪
(過去4回はマガジンにまとまめているわ。こちら)
ここよ。有珠山ロープウェイの手前にある「三松正夫記念館(昭和新山資料館)」!
ロープウェイやお土産店、熊牧場に行ったことがある人も、ここは小さくて目立たないから気づかない人もいるかもね。マリはむしろココを目指して来るから、実は奥まで進んだ記憶がないのよ。
「三松正夫」が誰だがピンとこない人も多いわよね? でも記念館の目の前にある、ある物の持ち主だと聞いたら知っている人はいるかもしれないわ。それがこちらよ。ジャ~ン♪
昭和新山!標高398mの火山よ。
世界広しとも個人所有の火山なんて聞いたことないでしょ。これには凄まじいストーリーがあるの。だけど昭和新山のことを語り始めたら1回では終わらないから端折ってお話しするわね。
もともとこの山はなくって集落だったの。それが昭和17年(1943年)の暮れの地震を発端に噴火を繰り返して約1年かけてこんな山になっちゃったのよ。
時代は終戦〜終戦後、人々はこの山から硫黄を勝手に採って売ったり、物見遊山にやって来て(今で言う映えスポットね)いたずらに荒らされたりしていたそうなの。そこで、この噴火の様子を熱心に記録したり、町民のために尽力していた地元の郵便局長さんが地主さんから私財を投げ売って買い取ったの。局長さんは以前から有珠山が噴火した際に学者さんたちを案内したりして交流があったから、この新しく出来た山がどれほど学問的に貴重であるか知っていたのね。
この現代に畑のなかから突如こんな新しい山ができたのよ。それが天然記念物級であるのに自治体も行政もそれどころじゃないから、私有地にして保護したというわけ。その郵便局長さんが三松正夫さん、その人なの。
この正夫さんの生涯のことは、かの手塚治虫さんも新田次郎さんも描いているのよ。記念館には当時の写真や正夫さんの観察記録や私物などが展示してあるんだけど、マリが最も好きなのが正夫さんの絵よ。絵描き志望だったという正夫さんの新山への愛と興奮が伝わってくる絵が大好きなの。
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