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Short Design6/19

朝起きて、テレビを見たりラジオを聴きながら準備をする。時々家の前を通る配送業者の車や子どもたちの声に微笑みながら、鳥に挨拶をしながらゆったりと朝を過ごす。
おだやかな暮らしだと思っている。時々男の子たちのしょうもない悪戯に辛辣に返答しながらも、無関心を示さないところに自分の優しさを客観視したりする。

私は男の子たちにとって食えぬ女だと思う。疑問に対して「なぜ?」「どうして?」を理詰めで説明させるからだ。
違うことは違うと感情的にヒステリックになるのであれば男の子たちに華を持たせてあげられるといえよう、逃げ道として「女は感情的だから困る」「生理じゃないの?」と悪口の余裕を与えているからだ。
しかし、調子が良い時私は感情的になりながらも理詰めで口喧嘩をする。一寸も逃げられないような理詰めは後出しの理由さえも別の角度から徹底的に埋め尽くすかのだから、感覚としては生き埋めに近い窒息感だと思う。

理詰めの威厳が高められるのは普段の行いにおいて、大変協調・共感を旨としてコミュニケーションをはかっているからかもしれない。
可愛い顔をして言うことに隙がない。マッキーやユウマンは私のこういうところに昔からドン引きしていた。
クリなんかは屁理屈王として名を馳せた仲間だから、私のこういう理詰めなところが面白いと言うだろう。
卓さんはといえば昔から私のディベート面に関して意見したことはなかった。
なぜだから知らないけれど、私の黒い部分や性格が悪いと思われるような部分は見てみぬふりをしてくれている。少なくとも私の前では言及したことは一度もない。

卓さんの登場以来、私の発言に一喜一憂する昔のコミュニティの男の子たちが5人輪番を組んで家の前までストーキングにいらっしゃる。土日は必ずと言ってもいいかもしれない。

卓さんがいかに私にとって特別な人であるかわかりもしない、稚拙な感性で彼らは私の様子を観にくるようだけれど、はっきり言ってレベルが違う。

普通のまともな女の子ならそこのところの判断は誰しもがはっきりできる、そのレベルで旧コミュニティと卓さんとの間には差がある。

色々と言いたいことはある。私と卓さんがどれほど恋焦がれているかを示すのがいいのか、旧コミュニティの人間の愚かさを列挙するのがいいのか。ただひとつ言えることは旧コミニュティの男の子たちに私は魅力を感じることができない。

卓さんたちと出会った中学時代の嫌な思い出を分かち合うほどに卓さんたちは仕返しをしてくれる。だからあまり私は言わない方がいいと自重している。
卓さんたちはモテた。私はモテなかった。でも卓さんたちは私を愛してくれた、昔から変わらず。
そうすると女の子たちの私への関わり方の真実も見えてきて、時々思い出しては凹んで寝込んでしまったりもする。

可愛いと言われるとバカにされた気分になって、また理詰めで反撃をする。
内弁慶だ。卓さんたちにはなんでも言える。「バカ」とか「うるさい」とか「少し放っておいてよ!」とか色々。でも女の子には何も言えない。意地悪な視線を送られるだけで、あてつけに「私太っているからさあ」と言われただけで凹んでしまってひとり泣くことが精一杯となってしまう。もちろん卓さんたちに泣きつくことはプライドが許さないから、事情を説明しない。

父はどう思うだろうか。父は笑うだろうか。
今日は父の日だ。生前何もしてあげられなかったことが少し悔やまれる。でも天国にはこの地上で手に入れたものは何一つ持ち込むことができない。
「じゃあいっか」。
やはり甘えているなあと思う。義理堅い私が巣の自分で居られる場所。それが父のもとであり、父が亡くなり卓さんたちにバトンタッチされた。

卓さんとマッキーとクリとユウマンは私のパートナーで、父で兄で弟で親友で同級生だ。戦友で語り尽くせない家族で、人生を支え合えるワガママが言える存在だ。

中学生の頃の同級生たちよ、高校生になって彼らと知り合った人々よ、彼らに恋をしてフラれた連中たちよ、

悪いな、彼らはめぐみと生きることを決めたんだ。
席は5つ。すでに満席だ。

Flag Makerは12人で構成されている。
1人は私たちの親のために、1人は私たちの親戚のために
だから、計算上Flag Makerには席が残り5つあることになる。

千聖、佑壱、雅宗、航朔、そして、大蔵。

卓さんたちに私を橋渡ししてくれたこの5人について私は卓さんたちと同じように感謝している。

縁もゆかりもない私を支え続けてくれた。縁もゆかりもない私の才能を伸ばしてくれた。私を世に出す決断をする時に5人で大げんかになったことは今ではいい思い出として私の支柱として健在化している。
千聖と航朔は私の身を案じて雅宗と一線を引いてまで言い争ってくれた。荒野の、真夜中の決闘の現場は団地横の小さな公園だった。
佑壱が常に中立的な立場でいてくれたから、5人のバランスがうまくとれている。何よりも大蔵の人生の困難と私の存在がうまい具合に合わさったことが私たちの出会いのきっかけだったことはまさに運命だと思っている。

10人中、8人は85年世代というのもご縁だと思う。
世に出てもなお、小さなおうちでこうしてPCに向き合う私をいつも苦々しく思っていることはわかっている。
仕事をしているとすべてを無視してしまうからだ。



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