例外

英語に例外が多い理由。

1%の規則と99%の例外

英語というのは「1%の規則と99%の例外」だなんて笑い話があります。それ程、例外が多い。学校の英語テストはこの例外を軸に作られます。でも、なんでこんなに例外が多いのでしょうか。ルールをちゃんと守るほうがシンプルで分かり易いのに。

母語は「話す聞く」から覚える

世の中には識字率が低い国がたくさんあります。ユネスコの2015年のデータによれば(下図)、アフリカには国民の半分以上が字を読めない国があります。インドはまだ30%ほどの国民が字が読めないようです。

しかし字を読めない人たちに母語が無いわけではありません。字の読み書きができなくても、その国の母語を話して聞いているはず。つまり、言語というのはその成り立ち的に、「話す聞く」というのが第一義的であって、「読む書く」というのは副次的・意図的に身に付ける能力だといえます。日本だって、普通教育が始まる前は字が読めない人が多かったはずです。「読む書く」というのは教育によって意識的に教えるものなのです。

つまり、「読む書く」と「話す聞く」は成り立ちが全然違うのです。

外国語は「読む書く」から勉強する

英語や中国語を学ぶとき、私たちは「読む書く」から始めます。そして、後から「話す聞く」というコミュニケーションを学び始めます。

ここで重要なことは「教えるにはある程度の規則が必要」だということ。規則があると教え易い・学び易いのです。ですから、カリキュラムを作る人は、普段の「聞く話す」のコミュニケーション・ツールとして使っている言語に規則を探す出すのです。そして見つけた規則をまとめたものがあの教科書。つまり、その規則にそぐわない英語はそもそもたくさんあるのです。

私たちが勉強する規則は、その規則が先にあって例外が派生したのではなく、そもそもの実用例から不完全な規則を作り出したのです。だから、語学には例外がつきものなのです。

本当の英語の情報世界

私のイメージするのは、情報の海です。英語の情報の海というのがある。日本語の情報の海というのもある。私たちは海でうまく泳げるようになりたいわけです。

母語の海では親が面倒を見てくれて母語の海で遊んでいるうちに、泳ぎ方を身に付けていく。泳ぎ方を教わるというよりは、周りの人の泳ぎ方を見ながら、親の指導を受けながら時間をかけて身に付けていくイメージです。

しかし、外国語の海に立ち向かうときは付き添いの親はいません。しかも、同じ海ですが、例えば塩分濃度が全然違うので(喩えが微妙…)、母語の海での泳ぐ技術が全く参考になりません。全くのゼロから。ある人は、いきなり英語の海に飛び込んで溺れながら泳ぎを覚える人もいるでしょう。まずは陸地で泳ぎ方を習ってから、実践に臨む人もいるでしょう。「読む書く」を学ぶのは、陸地で事前に泳ぎ方の規則を学ぶ行為に似ています。じゃあ、何のために学ぶとかといえば、本当の英語の世界で泳ぐために、陸地で勉強をしているのです。そして「陸地での机上の勉強」と「海での実践練習」の間には、それはそれは大きな隔たりがあるのは明らかです。

大海原に飛び込む勇気はあるか

英語の大海原は昔からそこに存在しています。規則とかそれに伴う例外とかはあとからその大海原を見た人間の解釈でしかありません。例外なんてそもそもないのです。例外を含めたその他すべての英語的要素がすべて英語の大海原を構成しています。外国語の大海原で泳ぎたいと願うならば、陸地での読み書きをしつつ、飛び込んで実用のフェーズに移行しましょう。オンライン英会話、留学、海外での就職、旅行。様々な方法があります。そこが、本当の言語そのものと向き合うスタートラインなのかもしれません。





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