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お金じゃない

人生の目的はお金じゃない。
ということを、お金がない内に主張しておこうと思います。

こうした主張は、お金持ちになった後だと、
「あなたはお金をもっているからそう言えるんだ。」
と反論を食らいます。

(まあ、お金がない内に言っても、「それは貧乏人の負け惜しみだ。」「競争に挑まないための言い訳だ。」的な反論をいただくのですが。)


ですので、お金がない今のうちにこうした主張をしといて、なおかつ、もっと余裕のある生活をしてからも改めて、
「人生の目的はお金じゃない。」
ということを主張しようと思います。


衣・食・住に困っておらず、人生を一生懸命やらせてもらえてて、応援してくれる人たちがいて、大切に思える人たちがいる。
幸せは生活の中に既にあり、それを自分が見つけるかどうかです。

多少の我慢はそれなりにありますが、それはお金があってもなくても生まれるものだと思います。
使う金額に差はあれど、お金を使うかどうか葛藤し、結果我慢するという流れは金額の大小にかかわらず同じです。

上を見れば青天井。求めてもキリがない世界です。
果てしなくお金を求めるがために、既にある幸せをないがしろにするのであればそれはしょうもないことだと思います。

お金じゃない、と今のうちに言わせていただきます。



この主張するうえでいくつか断わっておきたいことがあります。

1つ目は、だからと言ってお金を必要としていないわけではない、ということです。
お金なんてあったほうが良いし、今だってめちゃくちゃお金持ちになりたいと思っています。
これからもっとレベルアップしていって、結果としてものすごい給料をもらえる状態になったとしたらそれを拒むことはないですし、なんならものすごい給料をもらえるくらいまでのレベルアップを果たしてやろうとも思っています。
あくまでも優先順位は高くないという主張です。

2つ目は、お金の優先順位を高くしなければいけない状況もある、ということです。
例えば衣・食・住に困っているとか、お金がないがために自分の人生を生きられていないとか、そうした状況の場合にはお金はものすごく大事になります。
法やインフラが整備されている先進国では中々ないかもしれませんが、命に直結する問題を抱えているような状況においてはお金じゃないという主張は適用されません。


この2点は抑えたうえで、「お金じゃない」という主張をしたいと思います。


サッカー選手は個人事業主で毎年のパフォーマンスが翌年のお給料に直結する職業ですから、この主張は気弱なものとして思われる可能性があります。
でもだからこその主張でございます。

大きな声では言いませんが、それでも確かに主張させていただきます。

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