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一喜一喜

“一喜一憂せずに、淡々と。“

というのは継続して積み上げるために重要な態度です。


多くのアスリートが競技後のインタビューでこの言葉を口にしているのを聞いたことがありますし、サラリーマンをやっている友人も似たようなことを言っているのを耳にしたことがあります。

アスリートに限らず、多くの人と場面に必要な態度なのだろうと思います。



しかし最近はそうじゃない考え方もあるように思えてきました。



「一喜一憂してもまあ全然良いんじゃないかな。」

「些細な状況の変化に感情が振り回されたって良いんじゃないかな。」

そんな風に思うこともあります。


と言うのも、一喜一憂の“憂“が本当に良いことをもたらさないだけで、“喜“の方は全力で味わわないと勿体無いと思うからです。

“憂“さえ排除できれば、むしろ全力で“喜“の部分を成功体験として糧にする方が、一喜一憂せずに淡々とこなすよりも成長に繋がると感じています。



成功体験は成功のイメージを強化します。

脳はイメージと現実を区別できないそうですから、成功のイメージが豊富であればあるほどパフォーマンスも向上するそうです。

言い換えれば、失敗のイメージが多くあればあるほど、そのイメージを現実のものとしてしまうそうです。


“憂“になるということは、失敗のイメージや負の感情が頭の中を支配している状態です。これには全く良いことがありません。

この点では一喜一憂も肯定はできません。


一方で、“喜“になるということは成功体験や正の感情が頭の中にある状態です。

これは更なる成功のイメージを作り出すことに一役買いますから、積極的に認めてあげることが大事になります。

もし、「調子に乗らないように、、、」なんて想いで成功体験をあしらったり、成功したけどダメだった所に注目してしまったら、せっかくの成功イメージが強化されないでしょうし、次回はそのダメな部分に意識が向いて失敗してしまうかもしれません。


ちゃんと喜んで、成功のイメージ、ポジティブな感情で自分を満たす。これが次の成功に繋がる。

この点で一喜一憂も否定できないと感じています。




ただ、本当に“憂“はダメです。

失敗のイメージを強化して負の感情で満たしてしまうので。


だから、一喜一喜くらいの感覚でいることが大事だと思います。

憂は排除して、感情を正の方向に振り回しまくる。


何があってもどうにかして“喜“になる。


もちろんうまくいけば素直にその成功体験を大切にすればいいと思います。

また、たとえ側から見たら良くない結果でも、行動した以上何かしらの成功体験があるはずですから、それを抽出して喜びましょう。


意地でも成功体験を見つけて喜ぶ。

些細な出来事も“喜“のきっかけにする。そんな意気込みが大事です。




ただ、どのような結果でも、

「成功だ。」

「あそこが良かった。」

だなんて開けっ広げに喜んでたら周囲からの目は冷やかでしょうし、なんなら、

「調子乗んな。」

「反省しろ。」

「いやいやお前はダメな奴だ。」

だなんて負の方向に誘うフィードバックをいただいてしまうこともあるでしょうから、大々的に一喜一喜する必要はありません。



ただ、やっぱりうまくいったらちゃんと喜び、成功のイメージを強化するべきですし、正の方向に振れるのであれば些細なことにも感情を動かしまくってもいいんじゃないかなと思います。

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