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一途に。

万物と向き合え。


以前のnoteにおいて、
私はこう記している。

「貴樹と私と初恋と。」より。

君はどんな初恋をしただろうか。
もしかしたらまだ恋がわからない人もいるかもしれないが。

私の初恋は、本当に衝撃的なものだった。
過去のnoteにも書いているが、
本当に初恋をしていたあの3年間は間違いなく私の中で大きなものだった。
形容しがたいが、初恋をしてから10年経ってもなお私の中で鮮明に当時の感情が残っているほどに、
私は初恋相手のことが心の底から好きだった。

初恋の時に抱いてしまった恋心がMAXで120の値を示したから、
私は恋愛が出来ない。
全て、あの頃の恋心の下位互換になってしまう。
初恋の時に抱いた感情を恋と呼ぶならば、
私はそれ以来恋心が抱けていない。

だからこそ、私は疑問だった。
どうして皆、そこまで人を好きになれるのか。
どうして皆、そこまで人に尽くせるのか。
どうして皆、そこまで人を愛せるのか。
甚だ疑問だった。

そして一つ、私は勘違いをしていた。
疑問が解消されたのと、勘違いに気づいたのはほぼ同時。
しかもつい最近のことで。


私は、まだ初恋を拗らせている。


そういう結論が出るだろう。
今、初恋相手に恋心を抱いているわけではないし、
心の中ではきっぱりと諦めている。絶対に叶わない。
けど、初恋の時と同じ感情を抱けていない自分がいて、
そのギャップに打ちひしがれてしまう。
誰かと交際関係にあっても、
初恋の時の感情と誰かに対しての恋愛感情の大きな差に気づいてしまい、
本気になれない自分がいる。
それに嫌気が差して、全部ダメにする。

まるで呪縛のようなこの状況から、私は10年脱せていない。
どこかの誰かに少し似ているなぁ、なんて。


これまでにnoteで言った恋愛の価値観は、
初恋以後に本気で人を好きになったことがないからこそ生まれた価値観。
だからこそ、先程の疑問に対してある仮定を投げる。


初恋を超えるほどの感情を掴んだ時、
皆が抱く恋愛感情と同じものが私にも抱けるのでは?


とすると、新たな疑問が生まれてくる。
君は初恋を拗らせていたか?という疑問と、
君はその拗らせていた初恋をどう乗り越えたか?という疑問。
私はまだ乗り越えられていない。拗らせっぱなしである。

私が本気で恋愛をするには、
ブレイクスルーとなるような、起爆剤ともなるような何かを掴む必要がある。
私の思い込み、逃避、勘違いで、こうやって沢山のものに気づくのに10年もかかってしまった。
その間、何人の人を傷つけただろうか。

10年前。
9歳の私はまだまだ視野が狭く、何事にも後先考えず突っ走っていた。
理性と冷静さと俯瞰を身につけてしまった19歳の私に、がむしゃらに生きていた9歳の私の感情を超えろというのは些か無理難題である。
「今までの相手が悪かったんじゃないか」と聞かれたが、そんなことは絶対にない。
私より明らかにいい人ばかりだった。これはまぎれもない事実。
相手と私には、恋愛における絶対的な温度差が生じてしまっていた。
その事実が重くのしかかっていて、しんどかった。私が悪いのに。

10年かけて、まだこの結論を出すまでにしか至れていない。
何かを掴むまで、あと何年かかるだろうか。
受動だけじゃもちろんダメだと思うが、
ひたすらに何をすればいいのか、全く分からない。
歳を重ねたって、恋愛経験積んだって、人と沢山関わったって、
何も見えてきていない。

でも私だって、人を一途に好きになりたい。
ひたすらに人を愛したい。本気になりたい。夢中になりたい。
その感情だけをひたすらに抱えている19歳の私に、
果たして今何ができるのか。
私はまだ何も掴めていない。
漸くスタートラインに立ったところだろうか。
それすらも進歩と呼べるほど、私は私を分かっていなかった。

進むしかない。
とにかくもがいて、何か掴みたい。
何だっていい。一歩踏み出す為の何かが欲しい。
もがいたその先に、何かを見つけたい。

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