【完結】10月5日 生後31日目 主治医面談
この日は14時半から主治医の先生との面談。
そしてその前に14時から沐浴指導が突然入った。点滴が取れてからというもの、もう早よ退院しなされと言わんばかりの空気だったので、(きっとGCU移動待ちの赤ちゃんが何人もいる)どんなスケジュールにも従うのみ!
前日にもう何もなければ退院と聞いていたので、
私たち夫婦は退院する気満々の大荷物だった。
夫婦揃ってリュックとトート持ってチャイルドシート抱えて、
しかも途中で「私も行く!」と我が母も参加し、
ソワソワしながら病院に到着。
荷物を母に預けて病院のカフェで待っていてもらい、
まずは沐浴室で沐浴指導。出産してから31日、やっとやっと初めての沐浴。
一般的にはもう手慣れてる頃なのに、
私は恐る恐る31日ぶりに裸ん坊の息子に触れた。
もう3,500gを超えている息子。なかなか重たくて難しかった。
30分後に面談。きっと大丈夫と思いながらも、やっぱり緊張する。
沐浴後に慌てて面談室に移動したので、
私は息子に履かせる予定の靴下を握りしめていた。
「お二人ともとても期待と緊張をされていると思いますので、
結論から申し上げますね。今日退院していただいて結構ですよ」
私たちのソワソワっぷりに、速攻で結論を伝えてくれた先生。
脳波にはてんかんの兆候は見られず、
MRIで診た脳にも異常はなかったとのことだった。
息子にはそもそも転院する理由になった先天的疾患があり、
もっと大きくなってから外科的手術は必要になってくるものの、
循環器・内分泌共に現在の命に関わるような異常はなかった
ということで退院が決定した。
今後、同じ髄膜炎になる可能性はあるか?という質問には
「他の赤ちゃんと同じ確率です。一度罹れば罹りやすくなるということも、
逆に罹りにくくなるということもありません」とのことだった。
罹りにくくなれよ!と思ったけどまあ仕方ない。
とにかく退院が決定した〜〜〜〜!!
私たちにとってはとても長い入院生活だった。
息子は小さな体で、1ヶ月もよく頑張った。
命は大丈夫ですか?後遺症は残りませんか?と聞いて
「今はなんとも言えません」と言われた時の絶望感をまだ覚えている。
本当に怖かった。運命を呪った。この子が何をしたと言うのだろう。
やっと授かった我が子を失うのだろうかと思った。
でも、息子には命があったんだ。
この命を大切に大切に、大きく丈夫に育てていきたい。
面談後、夫には外で待っていてもらい、
はやる気持ちを抑えながら、息子のコットに向かう。
もうおーちゃんにはコットも小さいね。
レンタル肌着以外の服を着せた息子の可愛さはひとしお。
靴下を履かせて、抱っこをして、
嬉し涙をこらえながら、静かに出口へ。
GCUには、様々な赤ちゃんが入院していた。
どうか、1日も早く、みんなが自分のお家に帰れますように。
みんな大人になれますように。
心の中でそう思いながら、ひっそりと退院した。
-2019年9月現在。息子はもう少しで1歳を迎える。
その間に発達フォローの通院は3回ほどあっただろうか。
今の所は一般的な速度で成長してくれている。
もうちょっとで歩けそうだ。離乳食もモリモリ食べて、
体はずいぶん大きくなり、こちらが言うことを少しずつ
理解し始めている。
次回の通院は来年、1歳6ヶ月の頃予定。
実は今月1回目の手術があり、
またまた家族での踏ん張りどころではあるのだけれど
ひとまずGBS髄膜炎の闘病記はこれにて終わりとする。
息子よ、本当に本当によく頑張った。
そしてあらゆる細菌どもめ、
二度とうちの息子の髄液に入ってくるなぶっ飛ばすぞ。
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