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数学的な答えではなく国語的な答えで

今の世の中、SNSが蔓延したせいで、人は調べることを諦めている。


正しい情報を調べるために使うのはSNSやネット情報であり、わざわざ図書館に行って資料を漁ってまで、正しい情報を得ようとはしない。

本来正解を探すためには、正解を求めるための行動をするべきだが、ほとんどの人は「SNSで検索」=「行動」と勘違いしている。

そもそも正解なんてどうでもいいのだ。

SNSを使う理由は、「正しい情報」ではなく「信じたい情報」が欲しいだけなのだから。

「SNSの情報は100%正しくはない」こんなこと、みんなわかっている。

それでも尚SNSを使うのは、自分に優位であり、自分の信じたい情報があるからだろう。


SNSは結局は人の集合体でしかない。

白か黒か?の問に白と答える人がいれば、黒と答える人もいる。

当然と言えば当然のことだろう。

SNSの中には何千万人もの人がいるのだから、答えが分かれるに決まってる。

しかし例えば正解が「白」だとしても、黒を信じたい人は白が正解だと認めない。

白が正解だとわかっても「Aは黒」と検索して、同意見の人を求めてしまうのだ。

「Aは黒」で検索してるのだから、当たり前に同意見の投稿が目につく。

同意見の投稿を見て「自分は間違ってなかった」と認識する。

これは実に愚かな考え方だ。

なぜならば、SNSで「Aは黒」と投稿してる人も、自分の意見に賛同が欲しいだけの、不安を抱えてる1人に過ぎない。

「Aが黒であってほしい」という不安な人同士が認め合って安心するだけの馴れ合いだ。

「正解が白」と言っている人も「正解が欲しい」という気持ちは通じている。

SNSを通して、簡単に答えが手に入るようになったからこそ、人は「正解」を求めるようになってしまった。


ここからは僕自身の意見になるが、僕は基本的に「白も黒もあって良いじゃないか」と考えることが多い。

正解を求めるのが「数学的考え方」、色んな意見を認めるのが「国語的(または道徳的)考え方」と僕は考えている。


僕としては国語的な考え方をすれば、わざわざ白か黒か論争が起こることもないと思っているが、曖昧な答えに対して人は不安を感じやすい。

数学的考え方で安心感を得ようとする。

安心感を得ようとする気持ちはわからなくもないが、数学的考え方は「SNSについていけてない考え方」だと思う。

SNSの普及によって得たものは「正解」ではなく「十人十色」の世界ではないだろうか。

正解なんてない、それが如実にSNSには溢れている。

それにも関わらず、SNSで正解を求めるのは「古い考え方なのにSNSを使っている」ように見えてしまう。


SNSを使って白黒ハッキリつけようだなんて、愚かすぎる。

同意見のユーザーを仲間につけて、別意見を叩くなんて愚の骨頂としか言いようがない。

現代のSNSの投稿に、日々悲しさを覚えるばかりだ。


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