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どう生きるかと、どう死ぬのかを考えることは似ているのかもしれない

はいどうもー。クドウマサヤ(@masaya_dev)です。今日は自身の感情と思考の整理も兼ねて、ちょっと取り留めのない話を。

先月末、祖父が亡くなりました。享年88歳でした。
がんが身体のあちこちに転移している状態だったようで、今月から入院予定というタイミングで病状が急に悪化したらしく、我々親族にとっても突然の訃報となりました。

そして先週、忌引きを2日間いただき、父方の実家である青森へ向かい、葬儀に参列してきました。お通夜は130人近い方々が祖父を弔いに来てくださり、本当にたくさんの人を愛し、愛されてきたんだなとしみじみ。

孫からみても昔から利他の精神が強いイメージだったので、きっと誰にでもそうだったんだろうなと、孫として誇らしい気持ちになりました。そしてこういった場面でその人がどう生きてきたのか、垣間見えるものだなと。

最近、自分の人生の指針として「粋(いき)」でありたいという考えがあるんですが、祖父はまさにその一つの憧れの姿ですね。これからも、自分の心の中で強く生き続けてくれると思います。

葬儀に参列するのは祖母が亡くなった9年前以来で、30代を過ぎてからは初でした。20代前半と30代前半で向き合う親族の死というものは、やはり色々と考えさせられるものも変わってきますね。

近年、「死生観」というものについて考えさせられる機会が増えてくるようになりました。歳を重ねたこともあるのでしょうが、友人・知人の訃報も年に数回は届くようになり。自分にとって悔いの少ない死に方とは、それまでに何を成したいのか、どう生きたいのかってことを考える時間は年々増えつつあるような気がします。

我が家に、34年前に祖父から父に引き継がれ、数年前に父から私に引き継がれた「葉隠の知恵」という書籍があります。「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」の一節で有名な「葉隠」という江戸時代中期に書かれた書物から教訓を抽出した書籍です。

古本の趣

この書籍のはじまりで、葉隠は一見「死の哲学」にフォーカスされているように思えるけど、よくよく読んでみるとそれ以上に「生の哲学」が述べられた書籍だということを解説しており。

幾星霜の時を経ても、死に方を考えるというのは生き方を考えるのと本質的には同じことなのかもしれません。月1時間でもいいから、こういったテーマとひとりで向き合い、日々の在り方を見直す時間を取ってみようかなぁ、なんて思う今日この頃なのでした。

ちなみにこれまで自分の死生観に1番強く影響を与えている作品は天です。この作品のラストは何十回読んでも刺さる。

また、死生観に関する書籍で1番周りに薦めているのはこちら。

大人としての生き方を考えるという意味では、ちょうど先週読み終えた小池一夫さんの一冊もとても響いた。

あと、2年ほど前から、iPhoneのホーム画面に80歳までの残り日数を出しています。毎日意識的に確認しているものではないんですが、なんだかんだ自分の深層心理に影響を与えているような気がする。

ふと見てハッとする夜がある

なんて普段書かないような話を綴ったら、本当に取り留めのない感じになってしまった。まぁそんな日もあるか。

みなさんどうかお元気で。
自分はこれから、10数年来の友人が料理長を務める、好きな居酒屋の周年を祝いにいってきます。酒も人も大好きだった爺ちゃんも、きっとそんな夜を沢山過ごしたのだろうと思いながら。

ではでは。


Everything's gonna be alright!