見出し画像

インターネットの匿名性の原則をむしろ最大限に利用し個人情報を掲載する行為そのものを違法とした方が諸問題を解決できるのでは?

具体例でいうなら私ことアザーラのプロフィールを見れば分かるけどこのnote作者の身元に関する情報は一つもありませんね。

アザーラというのはゲームクロノトリガーで登場する敵キャラの名前でありますが、それでも判るのはせいぜいクロノトリガー好きらしいということ。銀行口座や本名、住所等な掲載されてませんし、もしも私の名前を語る人がいるならその人は同姓同名だということですが、でもその同姓同名の人が年齢や性別が同じある場合はどうでしょうか?

私がネットで本名出して書き込みをしているのだと誤解する人がいるかもしれません。就活中なら企業の面接官が私の名前検索して誤解するかもしれない。

ネット上に個人情報を置いておくということは、そこの善悪に関わらずリスクあるということ。

ネット上で観測できる個人情報が小説等の物語の一部分であれば誤解されるような心配はないでしょうが、そうでない場合は危険性は常にあります

『山田太郎』というある種サンプル名である場合はセーフでしょうが、芸能人の名前『剛力彩芽』等を使う場合は最悪です。

明らかに剛力彩芽だと思えないテキストを投稿し、別人を装っててもダメです。その問題の多くは誰もが剛力彩芽名義を使えてしまう状況にこ、問題があります。

誰でも実在する人物名を名乗れるのであれば、詐欺師はその名前を成り済ましに利用するでしょう。

法律は成り済ましを禁止しているにせよ、被害者としては成り済まされているかどうかを100%判断する
材料を持ってはいないです。しかし、もしも実在する人物名を名乗ることすらネット上においては許されないルールにしたらどうでしょう。

剛力彩芽らしく振る舞ってる時点で違法になるので通報すべき案件となり、被害者が騙されにくくなるでしょう。つまり、インターネットの匿名性の原則を最大限に利用し個人情報を掲載する行為そのものを違法とした方が諸問題を解決できるのです

要するにTwitterやインスタグラムなSNSツールを利用する際に実在する個人を特定できるものは一切記載してはいけない。芸能人やアスリートもその名前を使ってSNSをしてはいけないし、一般人についても有名人名義を名乗ってはいけない努力義務が発生するルールが必要なのです。

有名人に成りすます詐欺だとか、有名人が知り合いに居ますよ詐欺はその条件下では発生しにくいとし

ファンが芸能人をフォローできず情報をリアルタイムに得られない件 には残念な思いをするだろうが、それは仕方ない。被害者が生まれないようにするのに何ら代償もなく実現するのは無茶だろうからだ。

個人情報を掲載してはいけないルールでは出会い系構造の多くが破綻するだろうが、出会い構造には子供が性被害に巻き込まれるリスクが常にある。個人的な情報を記載してはけないルールにおいては出会いのマッチングそのものが起こりにくい。

子供の出会い被害も極端にまで低下させるだろうから、出会いのシステムを捨てる事もやむ得ない措置だろう。これまでその悪い構造(被害者発生の構造の維持)に可鍛してきたろう出会い厨は、価値観をいっそ僧侶のレベルに改めて、ヴィーガンになるのも悪くないかもしれない。

ひよこURLhttps://www.hopeforanimals.org/male-chicks/

出会いで遠くの人間関係を作るよりも、身近なヒヨコの不幸を取り除き(生産させないようにする)、それを多くの人がやっていけば価値観が伝染しやすい、いずれ、似たような価値観同士が身近リアルにも増えていくだろう。
そうなれば、わざわざ匿名かつ遠くの人間から関係を作っていかなくても、近くいる誰かと知り合っても充実した関係性を築けるだろう。

その作用を阻止している存在が有名人であろう。某有名人がnoteにもいるが、その潜在的な問題は有名人が数多くの人との関係性を独占(ファンを集めたりアンチを集めたり)してるので、それ以外の人間らの関係性が構築される機会を遺失している。

それをリアルで例えるならば、例えばリアルで貴方の家族が羽生結弦ファンだったとする。家族がする会話の話題は羽生結弦ばかりで、消費されるカネについても割合が羽生結弦になっている。もし羽生結弦が存在しなければ、話題にはもっと自由度があるだろうし、羽生結弦に消費されるはずのカネは家族の為に多く使われていて外出したり、貴方にとって出会いの頻度が多い人生になるかもしれない。このリアルでの状況はネットにも当てはまる

現状の有名人はリアルでの発言力が大きいにもかかわらずネットでさえ発言力が大きくなり、人間関係性の広がりを独占してしまう。


リアル世界に平等の世界は作れないけれど、オンライン世界だけならある程度の平等なる世界を作れる可能性がある。

仮に剛力彩芽の一言の影響力もホームレスやニートの一言の影響力も同じレベルで等しくあるのなら、数々の諸問題を解決できる可能性(たぶん、想定外の問題も発生するだろうが)

たとえば芸能人が日々の暮らしをSNSで発表しなくなるとどうなるか?
たとえば水曜日のダウンタウンのクロちゃんがSNSをやらないとしたら嘘をつく機会が大幅に減るかもしれない。
SNSに時間を取られないというのは、暇人になり、エゴサーチする頻度も多くなるだろう。

例えば貴方が剛力彩芽ファンだったとする。

剛力彩芽について投稿していてエゴサーチで本人に読んで貰えてるかもしれないとして、

そんな剛力彩芽が、ある時テレビで貴方の投稿記事について話したとしたら貴方はどう思うだろうか?
ファンとして盛大に驚きつつ幸福であったとするなら、それこそがオンライン上で個人情報を記載してはいけないルールだらこそ発生した賜物だったといえるだろう。そういった報酬を期待してSNSを利用するというのも、ファン視点でみればあながち悪いものでもないとし

◯もしもオンラインから芸能人のSNSが無くなったとしたら、このnoteが読者に届く確率はどれくらい上昇するだろうか?

某有名人が『うんこ』という一言を呟くだけで、Xのトレンドオススメの欄に掲載されて読者を独占する事が過去にあった。 そのような時代が無くなるとして


問題はオンライン上で独自に地位を確立さてるネット専門の有名人だろう。テレビの中の人より知名度は低いが、多くの人の注意を惹き付けていて、惹き付けられた人はその間、無防備になって、ほかに注意を向ける力が弱くなってる。

注意して耳を澄ませていれば近所から虐待の音が聞こえるかもしれない。 年間20万件の虐待統計であり、生涯の何回か通報案件があるはず。SNSにかまけずに注意力が維持されていれば虐待に気付けて子供を助けられるとし、


有名人に限らないが心を持ってかれる(惹かれる)状態は人間としてはかなり脆い立ち位置に置かれる。

SNSで有名になって人から注意を浴びるというのは、そういった危険を不特定他数者に与えたりするリスクを常にはらんでいる。

とはいえ、SNSから有名人を一斉に取り除いても別の問題が発生するだろう。

有名人がいなくなった分、無名の個人らのSNSが評価されやすくなるとしたら、承認欲が擽られやすいのを意味する。 人によっては承認欲望に溺れて、どっぷりSNSに依存するようになるかもしれない。有名人をオンラインから排除したことで、そういった沼人が増加するとしたら、やはり注意力が散漫になり、お隣りさんに虐待案件があっても気付けないかもしれない。

じゃあ、一体どうするのが良いんですか?

【永遠に終わらない承認欲望を満たすことは諦め、妥協するように勤める。紳士に生きて心を律する。】自分を含め各個人がそのように意識を心掛けていればネット上の有名人が多い事の諸問題も根元的には、ある程度対応できるだろう。

詐欺や出会いで被害に巻き込まれる問題も、ネットに沼る前に事前に義務教育等で対応できると思う。
その事前の対応においても、こぼれ落ちる人がいるにせよ(被害者になるにせよ)にしてもそりゃもう仕方ない。

ひよこちゃんが犠牲になってる世の中だしヴィーガンでない人が不幸になるくらい少々構わない。と我は思うのである。

ここから先は

897字

¥ 120

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?