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【前半】シンガポール日系クリニックの機微

 シンガポールにはいわゆる日系クリニックが複数あり、日本人医師が数多く在籍している。
※日本人患者のみの診療を対象としている場合、シンガポール資本のクリニックでも日系クリニックと呼ばれることが多い

 そう遠くない昔、日系クリニックで働いていた時に

「日本人医師は、日本の医師免許だけで医業ができる代わりに、その業務内容が制限される(つまり、条件つきでシンガポールでの医師免許を与えられる)」
「条件つき医師免許を取得できる日本人医師の数にも、限りがある」

という話を、医師からもスタッフからもよく聞いていた。退職してからも、その根拠についてずっと気にかかっていた。
 というわけで、PCに長時間張りつく時間の余裕がある今、シンガポールで働く日本人医師とその条件について、腰を据えて調べてみることにした。結果、例によって例のごとく、予想を大幅に超える文字数となったため、【前半】【後半】に分けて投稿する。
 本記事は、シンガポールの医療制度について網羅したものではない。また、家庭医(GP)、専門医、中医師を区別せず、シンガポールで医師として働くに当たっての制度的な特徴や制限を概観することを目的とする。


医師がシンガポールで働くには

 最初に、医師がシンガポールで働くための条件について簡単に書いていきたい。
 医師の総合的な監督・登録機関は、シンガポール保健省(MOH、Ministry of Health)管轄下にあるシンガポール医療評議会(SMC、Singapore Medical Council)である。MRA(Medical Registration Act)に基づき、業務を行なっている。
※MRAの和訳は、サイトによって「医療従事登録法」「医学登録法」「医療登記法」等ばらつきあり

 まず、シンガポール国内の医学部を卒業した場合の医師免許登録方法から。
 医師免許には完全登録(Full Registration)条件つき登録(Conditional Registration)の2種類がある。条件つき登録をした医師は「SMCが認定した医療機関でのみ」、かつ「完全登録をした医師の監督下で」就労することができる。暫定登録(Provisional Registration)や仮登録(Temporary Registration)という種類もあるが、ここでは割愛する。

経済産業省「R3年度「医療国際展開カントリーレポート 新興国等のヘルスケア市場環境に関する基本情報 重点国の定量・定性情報比較」より

 次いで、外国人医師(またはシンガポール以外の国の医学部で学位を取得した医師)の場合はこちら。

経済産業省「R3年度「医療国際展開カントリーレポート 新興国等のヘルスケア市場環境に関する基本情報 重点国の定量・定性情報比較」より

条件つき登録についての記載と思われるが、上記の条件に補足したいのは、「SMCが認定した医療機関での採用が決まっていること」。就職先が決まって初めて、登録申請へ向けて動けるということだろう。

Eligibility requirements:
・holds a basic medical degree from a university / medical school listed in the Second Schedule of the Medical Registration Act; or
・has a postgraduate qualification recognised by SMC; and
has been selected for employment in an SMC-approved healthcare institution; and
・holds a certificate of experience or equivalent as proof of satisfactory completion of housemanship, or PGY1 or the internship year; and
・is currently in active clinical practice; and
・has passed such national licensing examination as required in the country where the basic medical degree was conferred (if applicable); and
・has been certified to be in good standing by the overseas regulatory body or medical council equivalent; and
・fulfils English Language requirements of SMC if the medium of instruction for the basic medical qualification is not in the English Language

SMC「Conditional Registration」より

 ちなみに、上記に記載された「MRA第2表に掲げる大学」は、日本では
「東京大学」
「京都大学」
「大阪大学」
の3校のみ。

SMC「International Medical Graduates」より

この3校以外の大学で学位を取得した医師は、SMCが認める大学院卒業資格を有していなければならない。といっても、他大学出身の医師も多数シンガポールで活躍されているため、日本の医学部で学位を取得していれば、学歴の面では特に問題はないと思われる。
追記:元々、日本国内の「MRA第2表に掲げる大学」は8校あったが、シンガポール国内の医学部卒業生の雇用を安定させるため、調整が入った経緯あり。

 シンガポール保健省(MOH)は2019年4月18日、シンガポール医学評議会(SMC)がシンガポールで医療者登録可能な基礎医学資格として認める海外医学校数を2020年1月1日より現行の160校から103校に削減するよう勧告したのを受け、リストを改訂すると発表した。資格として認められる日本の医学部は3校(東大・京大・阪大)へと減少する。

シンガポール新聞「シンガポール保健省、基礎医学資格として認める海外医学校リストを改訂」より

 繰り返しになるが、条件つき登録をした医師は「SMCが認定した医療機関でのみ」、かつ「完全登録をした医師の監督下で」就労することができる。また、「美容医療」「全症例数の20%を超えて健康診断を行うこと」も禁じられている
 完全登録を希望する場合、「MRA第2表に掲げる大学」の卒業生かどうかによって登録までのルートが異なるが、ここでは割愛する。

シンガポールの日本人医師に与えられた「条件つき医師免許」

 次に、「日本人医師が日本の医師免許だけで働ける場合」について。
 明記されたソースを探し当てるのに、多少時間を要した。法律でなく協定レベルでの取り決めと思われるが、「二国間協定」としか書かれていない記事が多い。だが、ついに発見。

 (…)2002年に日本とシンガポール政府の間で経済連携協定(economic partnership agreement;EPA)が締結された際、医師免許の相互承認という条項が盛り込まれ、日本の医師資格を持つ者は一定要件を満たせば書類審査のみで15人まで、シンガポールの医師免許を取得できることになりました。
 実は、それまでも同じような条件で医師免許取得が可能だったのですが、人数に関して特に制限はありませんでした。ところが、このときEPAに盛り込まれてしまったばかりに、人数制限がかかってしまったのです。物品に限定される自由貿易協定(free trade agreement;FTA)だけでなく、できれば人の交流も含むEPAにしたいという政府間の思惑から、既製事実があった医師免許承認が都合良く利用され、しかも数字を伴わないと協定としては格好が付かないということで、15人という制限ができてしまったようです。両国の交流を深めるはずのEPAが締結されて、逆に制約が強まるのだから、おかしな話です。(…)
 そこで私は、この人数制限が何とかならないものか、在シンガポール日本大使館に厚生労働省から出向してきていた担当の方へ相談し、紆余曲折を経て、最終的には枠を30人に増やしていただくことができました。もちろん、私からの要望だけで実現したことではありません。シンガポール日本人会や商工会議所など当地の日本人コミュニティーからの、対日本人医療の充実を望む声があったからこそです。枠が拡大したおかげで、当院では徐々に医師を増やすことができ、それに伴って患者に提供できる医療サービスの範囲も拡大していきました。(…)

日経メディカル「患者の要求は医師のサブスペシャリティーにまで」より
「シンガポール 医療サービスへの外資参入規制(H25年度・一般社団法人JIGH 「香港及びシンガポールを拠点とした日本式 パーソナライズド骨変形治癒矯正診療事業報告書」)」より

さっそく、外務省「日・シンガポール経済連携協定」をチェックしてみることに。

「日・シンガポール経済連携協定」JSEPA)へダイブ、もっか精読中

 公務員をしていた時も、ここまで注意深く目を通したことはない…というぐらいに集中して文書を読んでみるが、いまいち内容が頭に入ってこない。

多分ここかな…?外務省「日本・シンガポール新時代経済連携協定(概要)」より
経済産業省「日・シンガポール経済連携協定のレビュー」より

 「意見交換」「重要性が認識された」等、外交的な表現が続くが、「日本の医師免許を持つ者にシンガポールでの医師免許を与える際の条件や人数制限」について示す箇所が「日・シンガポール経済連携協定」内に見当たらない。

 それもそのはず、そもそも協定に規定されていないらしい。ヒントは外務省ではなく、経済産業省の文書にあった

経済産業省「2011年版不公正貿易報告書 第Ⅲ部 経済連携協定・投資協定 第3章 人の移動」より

なんじゃそら。(続く)

参考:
・外務省「日・シンガポール経済連携協定」
・Ministry of Foreign Affairs of Japan「The Japan-Singapore Economic Partnership Agreement (JSEPA)」
・経済産業省「ヘルスケア国際展開ウェブサイト」
・経済産業省「日・シンガポール経済連携協定のレビュー」
・経済産業省「2011年版不公正貿易報告書」
・Singapore Medical Council「Register of Medical Practitioners」


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