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200601_モダン・ラブ~異なる世界線が重なる瞬間~

最近、『モダン・ラブ』というAmazon primeで見られる、アメリカのドラマにはまっている。全8話で、すべて完結。登場人物も、全部違う。(まだ見ていない8話だけは、1~7話にでてくる登場人物たちの人生が、交差するらしい…早く見たいけど、見るのがもったいなくてまだ見れていない)ニューヨークを舞台に、いろんな形の小さな、大きな愛のお話が描かれている、ラブアンソロジー。

1話35分とは思えないほどの濃厚さで、全部本当に大好きなのだけれど…中でも7話は、2度観た。2度目は、周りの人を巻き込んで、5人で観た。また、泣けた。あの場にいてくれた、たえちゃん、ルアくん、ポワちゃん、響、ありがとう。受け取りまくってくれる人たちと一緒に観た2回目の第7話は、心を振るわせてくれました。ありがとう。

7話のタイトルは、『僕らが見つけた家族のカタチ』。ゲイカップルが、養子をもらう話なのだけど…養子にもらう子の母(当時、妊婦)と出会うところから、彼らの人生は波乱万丈であり、愛に満ちたものになっていく。はあ、全く説明ができない。

カップルの片っぽは、一見、どんな状況でも受け入れるぜ~!という大きな懐と軽いノリを持っているが、いざというとき(養子の母のお産のとき)には怖気ずいたり、誰かに任せたりするし、本当に危ないときのセーフティーネットとしては機能しない、おちゃめな感じ。もう1人は、自分に厳しく、相手にも厳しく、いろんなことを律しながら生きている。自分と相手に太い線を引きながら、正しく、真面目に、生きようとしている。でも、飼っている犬の身体の異変にいち早く気付いたり、誰もが嫌がることを自らかって出たり、そんな、信頼できる人でもある。

この話は、後者の青年と、めちゃくちゃフリーダムな生き方を選ぶ妊婦⇒母が、お互いの境界線をほどき、つながりという名の愛を知っていく話だと思った。まったく異なる世界線を生きる2人が、同じ時空にいる瞬間を描くシーンは、本当に美しくて、希望を感じた。思い出すだけでも、泣ける…

私は、そういう瞬間をたくさん見たくて、人と共に生きる人生を選んでいるんだと思った。

人は、孤独だ。私も、孤独だ。今こうしてこの文章を書いている瞬間も、私は私だけの世界線にいる。そこには、私だけしかいなくて、ひとりぼっち。だからこそ背筋が伸びるし、私だけに見える景色を、噛みしめたくなる。

孤独は、寂しい。嫌いじゃないけど。

だからこそ、一瞬でもいい。たまの、世界線が重なる瞬間を、誘発していきたいんだと思う。

「今この瞬間の記憶が心にあれば、この先何があっても大丈夫」と思えるような、心の中で生きる記憶を、作っていきたい。私にとっても、私が関わることになった人たちにとっても。(特に、子ども)

と書きながら、また泣いている。

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どうせ書いている日記。独り言を、つらつらと。閉じておく理由もみつからないので、公開してみることに。ちょっとやってみて、意味がありそうであれ…

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