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200429_『深い沼の大掃除が終わったら』

最近、「コロナウイルスが、私たちに何か伝えるために出現しているとしたら。私たちは何を問われているのだろう?」という問いへのアンサーを考える遊びにはまっている。すべてのことはメッセージだとか思ってしまう派の私は、この問いに、割と真剣に、関わっているような気がする。「人間の敵をどうやっつけるか」みたいなところで思考を停止しておけばいいのに、それが出来ない自分がめんどくさくもあるけれど、こんな自分ともう30年付き合ってきているので、諦めて思考を続けるしかない。

当たり前のように人間が中心に据えられている世界の在り方に違和感を感じ始めたのは、いつ頃だろう。錦糸町生まれの錦糸町&木場育ちで、比較的シティーガールとして生きてきた私は、自然と触れる機会は、人より少なかったはず。思春期に入り、家族でオランダに移住した。家から徒歩5分以内に、どこまでも続く牧場があった。山はもちろん、丘さえもないオランダだからこそ、そこら中に、地平線がある。地平線と広い広い空のコラボレーションが、大好きになった。高校の卒業試験の勉強期間に、毎日毎日、休憩に、近くの牧場へ、夕日を見にいっていた。毎日毎日、広い広い空を見上げては、自然の壮大さと、人間のちっぽけさを感じた。人間は、この世界の、一部でしかない。

そんな景色に出会ったことももちろんだが、オランダ人の身体に当たり前のように刻み込まれている、人間は大いなる世界の一部である思想を、思春期の間に、肌で感じ続けたことも、自分にとっては大事だった。

人間を中心に据え、人間の心に生まれる欲を満たす何かを作り続けることが当たり前だと思っていた昔の自分は、オランダで、あらゆる生き物たちのバランスの中でそれぞれのニーズ(欲ともまた違う)を適度に満たしていくようなカルチャーに、衝撃を受けた。

コンビニはない。スーパーも、平日は18時に閉まる。週末は、そもそもやっていない。お菓子の新商品は、一向にでない。ジュースも、決まったブランドの決まった商品しか置かれていない。最初は、物足りなかった。でも、すぐに慣れた。「新しいものを、もっと、もっと…」や、「もっと、もっと、便利に…」は、まやかしの欲だったと、気づく。人間の、まやかしの欲のために、他の生き物たちを犠牲にするなんて、ばかげているなあ、と。

そんな大事な気付きを得ながらも、日本に帰国し、また、「もっと、もっと」の世界に、また、慣れてしまう。つくづく、人間は、弱い生き物だ…と、思う。でも、ことあるごとに、オランダで感じたことを、思い出す。

でも、ベースは「もっと、もっと」のムードのまま、社会にでた。幸か不幸か、「もっと、もっと」の最前線のような業界の仕事をすることになり、競争社会をどっぷり味わう中で、オランダで身体に刻まれた思想が、「もう我慢ならぬ!」と、むくっと、飛び出てきた。もう、無視できない。ということで、「もっと、もっと」の世界から、足を洗うことになったわけなのだが。

そして、コロナの話に戻る。コロナが私たちに問うていることは、「人間中心社会、さらに、もっともっと教が、本当に、正しいのか?」ではないかと思っている。

17歳くらいで『GO』という映画を初めて見た時からずっとずっと大好きな窪塚洋介くんがインスタで語っていた言葉がすごく好きなのでシェアするが、上の問いに対する答えの一つは、これなんじゃないかと思う。

「深い沼の大掃除が終わったら…」
地球人として、
宇宙の法則(真理・叡智)に基づいた文明作りをしよう。
あらゆる命が共存共栄できる文明作りをしよう。
文化は様々あれど根底にそれを共有してゆこう。
つまりは真の科学がぼくらの宗教になる。
フリーエネルギー改革をベースに、国(共同体)、法律、金融、IT、環境、食糧、教育、医療、メディア、AI、建築、交通、流通、スポーツ、娯楽などのあらゆることを改革しよう。
それらの活動をする企業、団体、個人は、
身体は元気で心は豊か、
いつも楽しく世界は安全で、
感謝と生きる喜びが自然と湧いてくるような、永続可能な文明作りをするために、お互いを赦し認め合いそれぞれの個性を活かそう。 窪塚洋介

これを文章に出会って、自分が、宇宙の法則に、立ち返りたかったんだなあ、と、気づいた。今、本当にシンプルな暮らし方をしているけれど、とても幸せだ。この暮らしの中で、宇宙の法則を、思い出していきたいと思う。

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どうせ書いている日記。独り言を、つらつらと。閉じておく理由もみつからないので、公開してみることに。ちょっとやってみて、意味がありそうであれ…

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